柳都中学校3年生のまち歩きガイド

2019.07.01 Monday
 6月26日(水)の午後(13:30〜16:00)新潟市立柳都中学校3年生78名のまち歩きガイドに参加しました。
コースは
◎ 新潟湊歴史散策コース
◎ 神社仏閣パワースポットコース
◎ 日本海展望・日和山海岸と北前船コース

の3コースを3班に分け9人でガイドに当たりました。
 私が担当したのは「日本海展望・日和山海岸と北前船コース」の7人でした。
このコースのパワースポットは
願随寺 ⇒  金刀比羅神社(寄居町)⇒ 北前船の時代館(旧小澤家住宅)⇒ 入船地蔵尊 ⇒ 日和山と住吉神社 ⇒ 日和山展望台 ⇒ 開運稲荷神社 ⇒ 萬福寺

 

  最初にスポットは学校の直ぐ近くにある
願随寺です。


    この寺は江戸時代新潟が長岡藩の領地であった亨保18年(1733)三島郡北村(現長岡市)からこの場所に移転したということです。
   当時長岡藩主から1万9千坪を受地として与えられました。その後天保14年(1843)の新潟上知により幕領地となった際に現在の地所(約4千坪)になったということです。
   安政6年(1859)新潟開港時に外国使節団の接待所となったことで知られています。
また、幕府直轄地の初代奉行川村修就が砂防林として植えた名残の松が残っています。
  生徒たちは学校の直ぐ近くに、古い歴史のあるこのお寺があったことに、感心しているようでした。

 

次は
金刀比羅神社(寄合町)です。

 

   この神社は、新潟市有形民俗文化財(明治30年奉納)「難船彫刻絵馬」で知られています。
  文政5年(1822)廻船問屋鈴木彌五左衛門の持ち船白山丸が海難から救われた様子が欅に一枚板に彫られ奉納されています。

 

北前船の時代館(旧小澤家住宅)

 

    江戸時代後期から新潟町で活躍していた商家・小澤家の店舗兼住宅です。平成14年に旧所有者から新潟市へ土地建物が寄付されたものです。
    かっての新潟町の町家の典型的な建物です。
    平成23年から一般公開されています。

 

                           小澤家の庭

入船地蔵尊

   この寺は今から225年前の完成6年(1794)天明の大飢饉による死者を供養するため、延命地蔵を安置したと伝えられている。   

   境内の千体地蔵堂には7寸5分の1470体の金色地蔵尊が安置されています。

 

日和山

 

  日和山は標高12,3Mで信濃川河口付近の唯一の高台です。江戸時代漁師や海運業者は毎日この高台に登り入港する船絵の見張りをしていました。

  亨保5年(1720)新潟の廻船業者っは、伊藤仁太郎を専任の監視人に指定しました。

  その後河口が日和山から離れたため、慶応元年(1865)水戸教は河口付近に移転しました。

 

住吉神社(日和山)

  慶応元年(1865)水戸教が河口近くに移転したことから、伊藤家の邸内にあった住吉の大神を日和山に遍座し住吉神社としたとのことです。

日和山展望台

 

 

   日本海を望む新潟砂丘の高台で昔から日和山と呼ばれていました。
  ここに昭和11年(1936)高さ7,2メートルの展望台が建てられました。

  その後海岸侵食で昭和52年(1977)に高さ9メートルの展望台に建て替えられました。

  展望台からは市内や佐渡ヶ島も一望でき、市民の憩いの場となっています。

開運稲荷神社

 

 慶安2年(1649)長岡藩が関屋に米蔵鎮護のため建立しましたが、 廃藩置県後の明治10年(1877)現在地に遍座されました。
 境内には船の重石として積んできた出雲石を狐の姿に掘った
「こんこん様」が祀られています。 
こんこん様(顔が破損前のこんこん様)

       

 

萬福寺          

 

  今では綺麗な松林になっているこの場所は明治21年(1888)から昭和28(1953)まで65年間火葬場でした。
 その跡に数多くの骨灰が残されていたことに心を痛めた、故本間鹿蔵(八百重社長)等が発起人となり、骨牌を改めて埋葬するとともに、浄財を集めて「萬霊供養菩薩像」を建立し、萬福寺としました。

 

火葬場であった松林 

 

西海岸公園

 

  by keibo

 

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山の下閘門見学

2019.06.03 Monday

 先日「山の下閘門」とういうところを見学しました。

 山の下閘門は中央区と東区の境界にあり、通船川と栗の木川が信濃川に注ぐ場所で、2メートルの水位落差を閘門の開閉で調整しています。

 

 

 

 

 

        by keibo

 

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中途視覚障がい者のまち歩きガイド

2019.05.28 Tuesday
   新潟シティガイドでは5月26日(日)午前中途視覚障がい者20人の方々をまち歩きガイドしました。
   今回のまち歩き参加者は「新潟県中途視覚障がい者連絡会」方々で、前日には新潟駅前の「ラマダホテル」に宿泊されて参加された方もいたとのことです。
 ホテルの1階ホールで受付やスタート前の挨拶などがあり、まち歩き開始です。
 
 
 
 ガイドのコースは新潟駅万代口の弁天商店街から弁天公園を経て、新潟日報メディアシップまでの約1キロメートルです。
 
 参加者は20人でしたが、それぞれの方に介助する方も同行しますので、40人の方々をガイドすることになり、参加者は4班に分かれていただき、班ごとにガイドに当たりました。
  スタートは「ラマダホテル」でここから弁天商店街を通って弁天公園へ向います。
 弁天商店街
 最初に目に入るのは商店街に立つ七福神の銅像です。
 銅像の説明書きには次のようにあります。
当地は、かつては信濃川の中島で流作場と言われ、元禄十二(1699)年、河の安泰、港の繁盛、恙虫(つつがむし)除けを祈念して弁財天の祠が建立されました。後世には分霊を石の祠に祀り、石宮様と称しました。
昭和33(1958)年、現在の新潟駅開業に当たり、此の弁天様に因み、弁天通商店街が誕生しました。
ここに五十年の歴史を顕彰し、地域益々の発展と、光来の皆様方の福徳円満を祈願するよすがとして、弁財天を主神とする富貴幸運を授けられる七福神をお祀り致しました。
 ガイドに当っては銅像に直接触れていただき実感してもらう工夫をしていたようです。
 
  
 
  
 
 弁天公園
 ここは今の新潟駅ができる前昭和33年まで新潟駅のあった場所です。
 現在は公園で遊具なども置かれ憩いのばになっています。
また、弁天公園は公衆電話発祥碑があり、明治40年新潟市で初めて公衆電話が設置さてたところです。

 参加者の中には公衆電話の文字に触れて確認する人もいました。

 

 

 

  流作場五差路  

 

ここは初代・二代萬代橋東側の端で、萬代橋の親柱のレプリカが置かれています。

 


親柱に触れて大きさを確認

 

  

 

 

 万代クロッシング

 

 平成9年ラブラ万代と新潟テレコムビル間に設けられた地下歩道です。
 地下歩道を作るときに発見された旧萬代橋の木杭3本が建設時の明治19年以来の姿で、展示されています。
 発見された杭は杉丸太材で直径40cm、、杭の長さは6mです。
  大きい杭だ〜
  
  新潟日報メディアシップ  
ここがまち歩きのゴールです。
平成25年4月新潟日報社の本社機能を核として建設された高さ105m,、20階の高層ビルです。
   お疲れさまでした~   
      by keibo  
 
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「イザベラ・バードが見た明治の新潟を歩く」津川編

2019.05.26 Sunday


5月25日、津川からスタートしたイザベラ・バードのまち歩きに参加。

 

津川のガイドさん達が熱かった!

  

  

 

     情熱的なガイドさんのお話

 

     

 

イザベラ・バードが乗ったと思われる船

 

     特徴的な雁木

 

      津川町道路元標

 

     住吉神社境内の朝市

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テスト

2019.05.21 Tuesday

スマホから新潟シティガイドのブログに書き込むテストをしています。


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