新潟県政記念館に中学生ガイド

2017.11.16 Thursday

11月15日(水)、高齢者大学卒業生の親睦会のまち歩き。

 

白山神社・公園〜空中庭園〜上古町〜人情横町を歩きました。

 

この日、県政記念館では関屋中学校2年生が体験学習で

 

館内のガイドを担当。

 

フレッシュなガイドに参加者の眼差しが熱かった!!

 

Machiaruki Town Walk on Nov. 15.

When we dropped at Niigata Assembly House, two junior

high school girls stayed there and gave us a guide.

It was an experience learning activity for students.  

Their guide was so impressive and hopefull.

 

県政記念館でフレッシュスタッフの説明を聞く。

 

 

白山公園内,ひょうたん池周りの紅葉。

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 抹茶味

「えんでこ」まち歩きが始まりました。  ENDEKO WALK has just started on this Saturday.

2017.05.13 Saturday

「えんでこ」まち歩きが今週から始まり

ました。7月8日までの毎週土曜日開催です。

 

本日5月13日(土)は「発電所の島跡と

白山浦界隈散策・ランチ付き」と

「新潟ど真ん中巡り」の2コース。

 

どちらも定員を超える参加者となりました。

 

ENDEKO WALK has just started today. 

It will be held every Saturday

until July 8th.

 

It had 2 courses, 「Touchable Hakusan-ura」

and「Niigata fancy line」where the place people 

were interested in visiting today.

 

 

「発電所の島跡と白山浦界隈散策・ランチ付き」コース。

新潟市役所前集合。参加者39名。ガイド6名。

 

「Touchable Hakusan-ura」

Gathering in front of the Niigata city hall.

39 participants and 6 guides.

 

 

約100年前、白山浦にあった火力発電所。

 

Thermal power station located in Hakusan-ura

about 100 years ago.

 

 

 

新潟地震で被害のあった越後線線路,橋桁。

 

A railway track and bridge-girder damaged

by the earthquake. 

 

 

 

旧電車通り。

 

The street that trains used to be running.

 

 

 

かつての 新潟県立商業高校校舎と

白山駅(下)。

 

The previous building of Niigata commercial

high school and Hakusan station.

 

 

白山浦界隈の明治、昭和期を巡りました。

 

We walked around Hakusan-ura area and

followed the time of Meiji and Showa era.

 

 

 

そしてお楽しみのランチは大正12年創業のピーア軒で。

現在のカレー(左)と昔のカレーの食べ比べカレー。

 

Lunch at PIA KEN that opened the restaurant about

90 years ago. Two kinds of curry was served.

 

 

参加された皆様にはまち歩き、ランチともに大変満足して頂きました。

他のコースにも参加したいとのご希望が多くありました。

 

大変お疲れさまでした。

また、まち歩きでお会いいたしましょう。

 

Every participant was satisfied with the walk

and the lunch.

Many of them wanted to join other courses,

they said.

 

Niigata city guide would like to meet and walk

with them again.

Thank you and see you again.

 

 

 

 

 

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 抹茶味

「高野素十」は父の兄です。(松山政文さん投稿)

2016.11.12 Saturday

驚きのタイトルで始まったブログ。

ガイドの松山政文さんからの投稿です。

 

The amazing title " Soju Takano is my father 's elder brother. "

Here is a post from Mr. Masafumi Matsuyama.

 

 

10月30日(日)、「豪商の館と古町花街巡り」コース。

横浜と茨城からの高野姓4名のお客様で新潟には数回訪れている様子。

 

October 30th, Sunday, the course was " Visit wealthy

merchants' houses and old days' hot spot "

The walkers named Takano were a father from Yokohama and

three sons from Ibaraki pref. They visited Niigata several times

so far.

 

 

「かき正」で俳句を見ながら当時の句会の話をしていた時に、

お客様が「見つけた!!」「この人はうちの父の兄です!!」

「素十の葬式にも出ました」と言ったので大変驚きました。

 

At the moment I told about the Haiku gathering at Kakimasa,

Takanos said, " Found it !!", " The haiku poet Soju is my father's

elder brother !!", " We attended Soju's funeral. "

I was so surprised to hear it !!

 

Soju's haiku in the left

 

 

高野素十は小学校までは茨城県、旧中学は長岡、旧高等学校は

新潟、大学は東京帝大医学部でした。

 

Actually Soju Takano was raised up to the age of elementary

school in Ibaraki pref., and he graduated from a junior high in Nagaoka

and high school in Niigata under an old education-system.

Then he was a graduate of the medical school in Tokyo Imperial University.

 

 

句会の写真を見ながら高浜虚子、中田みずほの話をすると

「知っています」との事。

ここで素十の句に出会えたことに感動していました。

新潟を数回訪れた理由は素十の足跡探しだったのかもしれません。

 

Takanos knew Kyoshi Takahama and Mizuho Nakata as Soju's friends.

They were so appreciated that they met the Soju's haiku unexpectedly.

It might be a reason why they visited Niigata to find Soju's marks.

 

 

私(松山)も広島生まれ・育ち。

かき正の創業者「橋本春霞」の話はするようにしています。

 

My homeland is Hiroshima pref. the same place

as Shunka Hashimoto, who was a founder of Kakimasa.

So I like to tell Shunka's story.

 

 

松山さん、投稿ありがとうございました。

 

Thanks for your post, Mr. Matsuyama.

 

 

まち歩きをするとステキな出会いがありますよ。

ご参加をお待ちしています。

 

Machiaruki walking will let you go to see something nice.

Walk together with Niigata City Guide !!

 

 

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 抹茶味

#古信濃川跡をたどって歩く

2016.08.06 Saturday

7月30日(土)午前、新潟シティガイドの仲間で、古信濃川跡をたどって歩いて来ました。この日の参加者は17人で、案内役はこのことに詳しい会員が当たりました。

スタートは古信濃川の上流側入り口の、信濃川右岸下所島「やすらぎ堤」で、ゴールは下流側出口です。

 

上流側の入り口は注意して見ないとよく分からないくらい、目立たない作りです。

古信濃川1

 

古信濃川3

 

古信濃川2

 

ここからスタートし

下所島ポンプ場 ⇛ 県道小須戸・三条線(かっての信濃川右岸土手) ⇛ 水島町 ⇛ 天神尾踏切 ⇛ 天神尾天満宮通り ⇛ メビウスビル ⇛ プラーカ3 ⇛ プラーカ1 ⇛ 笹口 ⇛ 東跨線橋 ⇛ 長嶺町 ⇛ 新潟市中央図書館(ホンポート) ⇛ 明石通り ⇛ 万代保育園 ⇛ 万代町通り ⇛ 福島製麺所前 ⇛ 本立寺 ⇛ 東港線 ⇛ 魚市場岸壁

までの約3.8キロです。

 

 

新潟日報メディアシップ20階展望室から信濃川右岸を眺めると、万代シテイ、新潟駅、新潟西港など新潟市内で最も繁栄している繁華街となっています。

しかし、この地域はかつて古信濃川と信濃川の本流の中洲で、流作場と言われ,作物を作っても洪水などで流失すろことが多かったそうです。 

当時この地域を支配していた長岡藩は延享5年(1,746)安倍玄的に開発を命じました。

時代は移り、大正11年(1,922)に大河津分水が完成し、河川管理が容易になったことから昭和4年(1,929)信濃川両岸の埋め立てが始まり,昭和40年ころまでに埋め立てられました。

 

やすらぎ堤から降りて道左手に下所島ポンプ場がり、ポンプアップした水を信濃川に放水しています。

 

古信濃川5

 

ここから古信濃川跡に沿って歩きます。

 

古信濃川6

 

最初に出会うのが県道小須戸・三条線との交差点ですが、この道路はかっては信濃川右岸の土手でした。

 

古信濃川7

 

振り返ると歩いて来た川跡の道が信濃川方面に続いています。

 

古信濃川7

 

この交差点を直進し、少し左に進むと水島稲荷神社があります。この神社はその昔、度重なる作流れに対処するため、地域の農民らが石宮を建てたのが始まりとのことです。

 

古信濃川8

 

古信濃川9

 

もとの道にもどり道なりに歩くと越後線踏切があり、これを渡ると天神尾です。

 

古信濃川10

 

線路沿いにしばらく歩くと右手に川跡に作られた天神第二公園がり、ここで小休止です。

 

古信濃川11

 

古信濃川12

 

木陰が涼しかった。

 

ここで右に曲がり左に曲がると新潟駅南口のプラーカ3ビルに突き当たりますが、川筋はこのビルの真ん中を突き抜けていたようです。

 

古信濃川13

 

プラーカ1(ジュンク堂書店)の店内へ入る。

 

古信濃川14

 

ジュンク堂書店内(ここも川跡)

 

古信濃川14

 

プラーカ1ジュンク堂書店の中を突き抜け米山町へと進みます。この道が古信濃川跡かは疑問らしい。

 

古信濃川15

 

更に歩くと東跨線橋がありますが、古信濃川は跨線橋の下を流れていたようです。急な階段を登り下りして跨線橋を越え、長嶺町へと続きます。

 

古信濃川16

 

東跨線橋上から新潟駅方面を魅入る。

 

古信濃川16

 

東跨線橋階段を降りて、長嶺町へ歩く。

 

古信濃川17

 

古信濃川は長嶺町を流れていたようです。

 

古信濃川18

 

左手の東公園脇を右折すると、新潟市立中央図書館前にでます。

ここには

ここに古信濃川の流れありき」の碑と古信濃川の案内板が建てられています。

 

古信濃川19

 

古信濃川の案内板の説明に聞き入る。

 

古信濃川21

 

図書館まえから明石通を横断し、沼垂の古信濃川跡の道を真っ直ぐ歩きます。

 

古信濃川22

 

川筋の道と万代町通りの交差点歩道にには

ここに古信濃川の流れありき

の碑が建てられています。

 

古信濃川26

 

 

沼垂地内の川跡の説明を聞く。

このあたりは他の川筋と異なり早くからまちが形成されていた地域です。

ここでの説明で興味深かったのは、川筋を隔てて沼垂と東万代町など、はっきり町名が別れていることです。

古い話ですが、この川が長岡藩と新発田藩の境界でもあったことから、しっくりいかない時期もあったようです。

 

古信濃川23

 

さらに歩くと、古信濃川ポンプ場に突き当たります。

 

古信濃川24

 

東港線を渡るとピア万代ですが、ここが古信濃川の下流側出口です。

 

古信濃川25

 

汗びっしょりな研修でしたが、ピア万代で昼食し、道程を振り返り解散です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド(ケイボウ)

#"えんでこ”「西海岸公園 歴史と文学の散歩みち」ガイド

2016.07.10 Sunday

7月9日(土)の”えんでこ”は新潟の「西海岸公園・歴史と文学の散歩道」ガイドです。

朝からの雨でしたが、午前10時、スタート地点の護国神社前に集まった方は、7人です。

挨拶

このコースの見どころは、護国神社境内と浜辺の松林の散歩道の中の、碑や像を訪ね、先人、文人たちの歴史と文化の一端を知ることができることです。

主なスポットは

・戊辰の役殉難者墓苑

・砂山の碑

・坂口安吾の碑

・良寛歌碑

・会津八一歌碑

・新潟奉行川村修就像

・ドン山

などです。

スタートしてすぐの護国神社参道左手に

・戊辰の役殉難者墓苑

があります。

戊辰墓苑

 

鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰の役は新潟にも及び、西軍(薩摩,長州,高鍋,など)と東軍(米沢、会津、庄内)の双方に多くの死者が出たといわれています。

 

戊辰墓苑1

 

墓苑内休憩所で概要を説明

 

明治のはじめ,新政府軍側である西軍戦死者の墓碑は、旧新潟大学本部跡に置かれ,新潟招魂社として長く祀られていました。

その後日清,日露戦争以後の戦死者も祀るようになり,「護国神社」と改称され,

昭和20年(1945)5月に現在地に祀られるようなりました。

苑内には西軍戦死者の墓碑が整然と並んでいます。

護国神社が遷座から40を経た昭和60年(1985)、新潟大学の本部跡地から東軍戦死者のものと思われる92人骨が発見されました。集められた遺骨は,この戊辰役殉難者墓苑に移して埋葬され,1987年に「戊辰役東軍慰霊碑」が建てられた。

戊辰墓苑「2

 

戊辰墓苑3

 

護国神社本殿前から海岸の松林へは、散策の小道になっており、辺り一帯の砂丘地は、格好の散歩道になっています。

 

散歩道

 

しばらくすると右手小高い所に大きな四角の石碑が現れます。

・砂山の碑

です。

 

砂山の碑

 

      すなやま

うみは あらうみ むこうは さどよ

すずめ なけ なけ もう ひは くれた

みんな よべ よべ おほしさま でたぞ

くれりゃ すなやま しおなり ばかり

すずめ ちり ぢり また かぜ あれる

みんな ちり ぢり もうだれもみえぬ

かえろ かえろよ ぐみはら わけて

すずめ さよなら さよなら あした

 うみよ さよなら さよなら あした

         北 原 白 秋

 

砂山の碑

 

<碑陰>

詩人北原白秋先生一九二二年此の地に遊び

「砂山」の童謡を作る新潟市民有志相はかり

この詩碑をゆかりの地に建てその面影をしのぶ

一九六一年六月

北原白秋先生童謡詩碑建設委員会

とあります。

 

 

しかし、この辺り一帯の砂丘地は、詩とは異なり荒波に削られ、渚沿いに道路が走り、テトラポットで辛うじて海岸線が維持されています。

名曲「砂山」

作詞:北原白秋

作曲:山田耕筰・中山晋平

このように2人の方が作曲し、そぜぞれ多くの方々に親しまれ、歌われています。

 

砂山の碑1

緑の「つわぶき」が碑を囲むように鮮やかです。

 

さらに歩いていくと、右手の小高く開けたところがあります。

・坂口安吾の碑

です。

丘の真ん中に坂口安吾(1906〜1955)の碑があります。

 

坂口安吾の碑

碑文は

 

「ふるさとは語ることなし」

安吾が亡くなる1っヶ月前に色紙に書いた言葉です。

碑石は安吾の告別式の日に尾崎士郎、檀一雄らが提唱し、昭和32年安吾が好きだったこの地にに建立されました。

22トンの巨石を安田町(現阿賀野市)から運びだしこの地まで移動する作業は、大変な苦労があったと言われています。

安吾の碑

 

安吾碑

 

※坂口安吾は太宰治・織田作之助らとともに゛無頼派゛と称され、戦後の文壇で活躍した流行作家です。代表作に「白痴」、「外套と青空」、エッセイ「堕落論」などがあり、戦後の混乱期に一大センセーションをまきおこしました。

 

次は

・良寛歌碑

です。

 

良寛歌碑

 

草書で書かれた碑は読めませんが、傍らに楷書の碑があり、

  風定まりて 花猶落ち 鳥啼いて 山更に幽なり

                  観音妙智力 咄

とあります。

 

良寛歌碑

・僧侶 ・詩人 ・書家として知られる、良寛さんですが、新潟にも度々足を運んだと言われています。

 

更に

・会津八一歌碑(新潟市市政百年記念で建立)

です。

會津八一歌碑

 

みゆきつむ  まつのはやしのつたひきて  まとにさやけき やまからのこゑ

會津八一は明治14年(1881)〜昭和31年(1956)は、新潟市生まれの歌人・美術史家・書家で雅号は秋艸道人。1956年に新潟市名誉市民

 

しばらく歩くと松林の中に、小高い山が現れ、山の上には大きな侍姿の銅像が建てられています。

・川村修就像

 初代新潟奉行 川村修就の銅像です。

川村修就

 

川村修就1

 

川村は新潟が長岡藩から幕府直轄となった天保14年(1843)初代新潟奉行として9年間在任しました。

この間、新潟にお台場を築き、大砲を鋳造して据え付け、外国船の侵入を防ぐために力を尽くしました。

また、激しい飛砂の害を防ぐため砂防植林を行いました。

その他、風紀厳正、物価安定、民生施策にも取り組み数々の業績で、新潟の発展に大きく貢献したことで知られています。

 

銅像の説明文の中に、川村が詠んだ

     うつし植えし

   二葉の松に秋の月

    梢のかげは

   だれか仰がん

   ー川村修就ー

があります。

 

 

松林の出口近くには

・ドン山

があります。

 

ドン山

 

明治6年から大正13年まで、ここで空砲を打ち、正午を知らせていました。

ドン山1

 

 

海岸砂丘の松林は、散歩道だけでなく多くの見どころがいっぱいです。

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド(ケイボウ)

「新潟市美術館」の見学会

2015.06.29 Monday

新潟市美術館が7月19日(日)のリニュアールオープンされます。

オープン前の6月24日(水)、新潟シティガイド会員の施設見学会があり参加しました。
美術館
美術館
 

美術館では多くの方々から、足を運んでもらうべく、まち歩きガイドをしている新潟シティガイドへの協力を得たい意向のようです。

美術館内は自由に立ち入りできる、スペースが数多くあり、館そのものを見学するのも十分な魅力があると感じました。
美術館美術館美術館美術館

美術館美術館美術館美術館

館の向かいは西大畑公園で、公園西側には刑務所時代の名残のレンガ塀の一部が残されています。
また老舗料亭「行形亭」に挟まれた「地獄極楽小路」もあります。

西大畑公園
西大畑公園西大畑公園

公園は春夏秋冬鮮やかな四季の移り変わりも楽しめます。

美術館の周辺は近代に開発された、お屋敷やレトロな洋館、さまざまな文化施設が点在し、まち歩きのコースにもなっています。

新潟市美術館は、1985年、隣接する西大畑公園とともに旧新潟刑務所の跡地を再開発して整備されました。指名設計競技を経て建物を設計したのは、新潟市出身の前川國男(1905〜1986)。巨匠ル・コルビュジエのもとで学び、日本の近代建築のパイオニアとして長く活躍した建築家です。

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド(ケイボウ)

これはどこでしょう。

2015.06.05 Friday
 金の鶴、この瓦はどこの瓦でしょう。
クリックで挿入
ガイドでもよく通る、新潟を代表するあちらです。

シティガイドのみなさんは、すぐに 「あそこの瓦だね?」 と気付かれた事でしょう。
ですが、どこから撮ったかというと、道路からではなく、お隣の敷地からです。
この鶴は夕陽に向かう方向にあって、晴れていれば、夕陽に輝く金の鶴が見られます。



新潟まち歩きの「魅力」comments(1)|by 新潟シティガイド(伊藤頼)

下町うんめぇもんコースガイド

2014.09.10 Wednesday
 

  9月8日(月)の午後(14:00〜16:00)下町うんめぇモンコースをガイドしました。

  お客さまはネット申込の女性3人です。新潟の方が東京からのお友達2人を市内の案内するに際し、新潟シティガイドのこのコースを選んだとのことでした。

  40代の女性ということもあり、まち歩きをしながら美味しいものを食べたいとの希望です。

  月曜日で歴史博物館・旧税関庁舎が休館なのが残念でしたが、第四銀行住吉町支店が開いていましたのでレトロの銀行内部を見ていただくことができ助かりました。

  新潟に住んでいても、下町のことはよく分かっていらっしゃらないご様子でしたので、みなとぴあでは、信濃川・新潟湊の大まかな説明からスタートしました。

港秀雪水上バス港の浚渫の迫力、折しも水上バス発着の様子が見られ喜んでおられましいた。
さわ山早川堀通りから、最初の立ち寄りは「さわ山」です。大福、ごぼう団子などお気に入りのようすで、私も大福をご馳走になってしまいました。
日和山五合目ここで私のサプライズ提案です。あらかじめ野内さんにお願いしておいた「日和山五合目」で落ち合っていただきくことにしました。

ここでの観光カリスマ野内さんのお話には皆さん大満足の様子でした。若干時間オーバーでしたが、「うまめぇもんコース」にもこんなサプライズはいかがでしょうか。
日和山五合目屋上うんめぇもんコース※参考までうんめぇもんコース地図はこちらです。

最後に「日和山五合目」屋上で記念写真撮影でした。日和山五合目屋上記念

 

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド(ケイボウ)

asshの取材

2013.03.15 Friday
過日、 「4月11日発行のasshに新潟日報新社屋メディアシップの特集記事を組みます。つきましては、その記事に続いて3ページほど新潟シティガイド様のまち歩きガイドを掲載したいのですが、ご協力いただけますか?」と電話が入った。
電話の主はasshの副編集長Hさん。
生活情報紙asshのターゲットは30代の女性、発行部数は25万部との事。
新潟シティガイドとしてもPRの絶好の機会、快く引き受けた。
人情横丁
予め、先方が希望したコースは3つ。
その内の一つ「萬代橋〜人情横丁〜古町花街〜行形亭〜旧斎藤家別邸〜どっぺり坂」を
自分が担当した。
当日は今にも雨が降りそうな天気。
そんな中、午前9時萬代橋をスタート・・・
スタッフは副編集長Hさんの他にライター・カメラマンの3人・・・

・・・・・・・・asshスタッフの皆さん・・・・・

小雨が降り出した正午前、無事コースを回り終えた。

カメラのシャッター音が響く中のガイドは、緊張感も増す。
スタッフの皆さんも、初めて知る事が多々あったらしい?!
ガイドをする喜びココにあり〜

どんな紙面になるのか・・・発行日が待ち遠しい。

(その日の午後は沼垂エリア、翌日は下町エリアの取材がありました。)
新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド(雄一)

割烹「かき正」で料亭体験の会食

2013.01.21 Monday
  1月17日(木)、新潟市中央区東堀通の料亭割烹「かき正」での会食に参加しました。
かき正

 「かき正」は創業70余年の老舗で、花街の中心に位置し、ガイドポイントの一つです。
 3,550円(飲み物は別)の料理は付出しから始まり結構な味とボリウムでした。
かき正料理

 「かき正」の創業者はホトトギスの同人(俳号春霞1977年没)で、終戦時から高浜虚子中田瑞穂高野素十、高橋すすむらと、同店で句会を開いていてたことで知られています。
かき正句会

 昭和23年の句会のお膳に、当時としては大変豪華な桜鯛が並びました。
そこで高浜虚子は
     
   かき正が 揃えたりやな 桜鯛

の句を残しました。
桜鯛
その桜鯛を中田みずほが描きました。












 創業者の志は、句会のメンバーや友人たちが残してくれた書や画となり、今に受け継がれています。
会食会場

 会食の部屋はその句会が開かれた3階の二間続きでした。
 部屋には書や画、写真などが残されており、興味深い体験でした。
新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド(管理者)
 

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