にじいろカフェ 「西海岸公園・歴史と文学の散歩道」の紹介−2

2019.02.15 Friday

 前回に続き関講師の講演内容の一部をご紹介します。

 

  西海岸公園は松林の小道が通じ散歩には最適ですが、時にはびっくりする物にものにも出合ます。

 

   
その一つが

芭蕉堂です。

  

 コンクリートの建造物のようにも見えますが、建物ではなく、「芭蕉」と朱く掘られた文字から芭蕉ゆかりの記念の石室です。

   

 

    新潟市(旧白根市)出身の画家、吉原芳仙(1807〜1983)が私財500円を投じて制作し、1966年に新潟市に寄贈したと言われています。 

   元禄2年(1689)7月に新潟で一夜を過ごしたとされる松尾芭蕉を偲ぶ作品です。

   芭蕉たちは新潟湊に船で着き、新潟には紹介されていた有力者の家に泊まれず、止むを得ず湊近くの宿 大工源七 に1泊しただけで、翌朝には北国街道(奥の細道では北陸道)を弥彦に向けて出発しました。

 

   堂内には芭蕉の肖像画と由緒書を銅筒におさめたうえ、永久保存のためコンクリート詰めにしてあると言われています。

海に降る 雨や恋しき 浮身宿

 

の句が新潟滞在中によんだとされ、それが石室の側面に刻まれている。
   古町通の船江神社境内にもこの句を刻した句碑があることはよく知られています。

  

またすぐ脇には、同じ作者による「蓑塚」も立っている。
  
   八木朋直胸像
   護国神社内の散歩道の出口近くに八木朋直の胸像があります。  
  八木朋直(1841〜1929)は1841年山形県米沢に生まれ、戊辰戦争で米沢藩の会計方として、新潟を転戦したと言われています。
   明治4年に新潟県庁職員となり、その後、第四銀行の2代目頭取に就任しました 。
 八木朋直というと初代萬代橋の資金提供者として知られています。
 当時新潟日日新聞社社長であった、内山信太郎の提案により資金を提供して1886(明治19年)、初代の木製萬代橋(長さ782m、幅7.33m)を完成させたました。
 内山は新潟と沼垂が川幅7〜800メートル信濃川によって、行き来の不便を強いられていることの解消には、架橋しかないと判断し、架橋計画を出願していました。折から信濃川改修計画が決まり、出願が認められました。
   しかし、内山には架橋資金がなく出資者が必要であった。内山が訪ねたのは当時の第四銀行頭取であった八木朋直であった。しかし八木を説得できず出資を断られました。
   やむなく葛塚町(新潟市北区豊栄)の豪商弦巻七十郎を訪問し、出資の許諾を得た。
  このことを報告したところ、八木は「かかる意義ある事業に対し、新潟市民に出資後援する者がいなく、郡部の人に委ねるのは、市民の恥である」と語り、出資が決まったという。

   その後、橋は1908(同41)年3月の大火で焼け落ちましたが、翌年に2代目萬代橋が完成しました。
やがて、バスの開通など自動車の時代を迎え、木橋は耐えきれず、昭和4年に現在の3代目萬代橋の架け替えとなりました。
  
會津八一歌碑
  
碑 文
みほとけの あごとひぢとに
あまでらの あさの
ひかりの ともしきろかも
中宮寺にて 秋艸道人 
(歌意)
尼寺の みほとけは
頬にあてた指先と
曲げた右肘に
朝の光が優しく反射する
そのお姿はなんと神秘的で
魅惑的なことか
建立趣旨)
會津八一が中宮寺のご本尊・菩薩半跏像を詠んだ歌の碑は 2010年(平成22)11月29日に 中宮寺本堂正面に建立された。
その姉妹歌碑が中宮寺・日野西光尊ご門跡と飛島建設・左野勝司氏とのご好意で 會津八一記念館に寄贈された
八一が若き日と晩年に逍遙したこの松林に建立し 奈良と新潟の縁の象徴とする
 
津八一(1881〜1956) 
  新潟市古町通5番町に生まれる。歌人、書家、美術史家
早稲田大学英文科卒業
 歌人・書家・美術史家。号は秋艸道人・渾斎等。早大卒。中学時代から俳句・和歌を作る。
奈良の古寺を巡遊し仏教美術への造詣を深め、美術学者としての地歩を築くかたわら作歌を本格化、万葉調の平がな書きによる荘重かつ芳醇な歌風で奈良古寺古仏を詠み、世の評価を得た。
 良寛詩碑 
風定花猶落鳥
啼山更幽 観音妙智力 咄
釈良寛書

 
副 碑
風定花猶落 鳥
啼山更幽 観音妙智力 咄
        釈良寛書
読下し
<注>
風定まりて花猶落ち
鳥啼いて山更に幽なり
観音妙智力 咄

 
   良寛が「法華経」を讃嘆して詠んだ 102首の「法華賛」の中の1首で観世音菩薩晋門品第25の末尾に賦したもの
  
僧侶 ・詩人 ・書家として知られる、良寛さんですが、新潟にも度々足を運んだと言われています。 
 
 
川村修就銅像
  

   川村は新潟が長岡藩から幕府直轄となった天保14年(1843)初代新潟奉行として9年間在任しました。
この間、新潟にお台場を築き、大砲を鋳造して据え付け、外国船の侵入を防ぐために力を尽くしました。
また、激しい飛砂の害を防ぐため砂防植林を行いました。
その他、風紀厳正、物価安定、民生施策にも取り組み数々の業績で、新潟の発展に大きく貢献したことで知られています。
 

銅像の説明文の中に、川村が詠んだ
     うつし植えし
   二葉の松に秋の月
    梢のかげは
   だれか仰がん
ー川村修就ー
があります。

 

ドン山

 

  

 

  

  江戸時代、新潟町民に時刻を知らせていた時の鐘にかわり、明治六年(1873)大砲により正午を知らせる事となり、
寄居の砂山に午砲所がつくられたました。
   ここでは大正8年に旧制新潟高等学校の校舎が造られるまでの間、午砲(ドンという音)により正午を告げていました。、
  その後西船見町の砂山【二葉中学(現ゆいぽーと)の近くの場所)】に移動した、大正13年(1924)に午砲が廃止されるまで、午砲所のある砂山は「ドン山」と呼ばれ、長年新潟の名所の一つとして親しまれた。
現在は午砲所と大砲が再現されているのでした。
  by keibo
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にじいろカフェ「西海岸公園・歴史と文学の散歩道」の紹介-1

2019.02.14 Thursday
 2月10日午前、白山公園の燕喜館で、新潟シティガイドのにじいろカフェが開催されました。
 今回の講師は当会の会員の一人 関克人氏で演題は
 「西海岸公園・歴史と文学の散歩道」です。
  これは新潟シティガイドのガイドコースの一つで、西海岸公園内の散歩道沿いにある、数多くの石碑・歌碑・銅像などの紹介でした。
 講演の要旨を画像などを交えながらお伝えします。
 講師紹介と挨拶
 
関 克人氏の講演開始
 
 コースの概要は下の地図の通りでした

 

主なスポットは
1 歌碑‥会津八一の歌碑
2 詩碑‥良寛詩碑、市島三千雄詩碑、砂山の碑
3 銅像‥川村修就像、八木朋直銅像、竹内式部像
4 その他‥坂口安吾の碑。芭蕉堂、戊辰役殉難者墓苑
など見どころがあります。
   今回の講演では時間の制約もあり、ピックアップしての紹介となりました。
   このコースのスタートは護国神社正面の大鳥居で、神社に向かって進むと左側にあるのが
戊辰役殉難者墓苑です。 
  
  
   鳥羽伏見戦に始まる戊辰役の影響は、新潟市にも及びました。西軍(薩摩、長州、高鍋、新発田)と東軍(米沢、会津、庄内)の双方に多くの死者が出ました。
   明治のはじめ、新政府軍側である西軍戦死者の墓碑が常磐ケ岡(旧新潟大学本部跡)に置かれ、新潟招魂社として祀られていました。
   招魂社は役割を拡大し、日清、日露戦争以後の戦死者も祭るようになり、「護国神社」と改称され、昭和20年(1945)5月には西船見町の現在地に遷されました。
苑内には西軍戦死者の墓碑が整然と並んでいます。
 
 一方の東軍慰霊碑
 護国神社遷座から40年、昭和60年(1985)に新潟大学の本部跡地から東軍戦死者のものと思われる46の人骨が発見されました。
  反明治政府戦士の遺骨であるため、改葬されることもなく忘れ去られていたようです。
 集められた遺骨はこの戊辰役殉難者墓苑に移して埋葬され、新潟大学医学部による慰霊碑が建てられ、また1987年に「戊辰役東軍慰霊碑」が建てられた

 
 このように墓苑には西軍、東軍の隔てなく祀られているのが特徴となっています。
 砂山の歌碑
 
  「砂山」は、北原白秋が創作童謡に力を入れていた頃、新潟の砂浜をうたったもので、白秋の代表的な童謡となっています。
   大正11年に新潟市での童謡音楽会に招待された白秋は、子どもたちの歓迎を受けたのち夕刻、寄居浜に足をのばしたと言います。
   暮れかかる日本海、砂浜、松林という新潟海岸の情景は、九州に生まれ育った白秋に大きな感銘を与え、小田原に帰ったのちこれを詩にして新潟の子どもたちに贈ったものが「砂山」の詩であると言われています。
中山晋平と山田耕筰が、この詩にそれぞれ曲をつけ、今では誰もが知っている童謡となっています。
 
海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめなけなけ もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ
  
暮れりゃ砂山 汐鳴ばかり
すずめちりぢり また風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ
    
かえろかえろよ 茱萸原わけて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした
 
坂口安吾の碑
  
  
  
 
新潟市出身の作家坂口安吾(1906〜1955)の死を偲び、重さ22.5トンの文学碑が砂丘上に建てられています。碑文には安吾が新潟市に講演の時に来た際に宿舎で
色紙に書きつけた

 ふるさとは  語ることなし  安吾    
の文が刻まれている。
     by keibo

  

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新潟小学校の交流学習発表会への参加-2

2019.02.02 Saturday

   午前のまち歩きガイドに続き午後からは、学習交流発表会 (NEXT21 1階 アトリウム)13:30〜14:55

  最初は中条小学校5年生が総合的な学習で学習した、米粉を利用した料理の紹介や活 用方法を発表でした。

 

※ 胎内市は1998年に日本で最初に米粉専用の製粉工場ができた「米粉発祥の地」で す。 市内には、胎内で誕生したご当地グルメ「たいないべえべえ」をはじめとした米 粉グルメや米粉スイーツを提供するお店が数多くあることで知られている。

 

 米粉の利用やと活用方法などについて発表

 

「みなさん米粉のことを知っていますか。」

 

 

 

「微細製粉技術」により、米粉だけで、パンや麺類やケーキ類などを作れるようになり、小麦粉の代わりとして使われるようになりました。

 

米粉でこんなに沢山の美味しい食べ物が作れます。

 

「米粉ニャン」もお手伝いします。

  

 

 

 

これからも米粉の利用や活用が広まるよう頑張ります。 

 

 続いて新潟小学校5年生が総合的な学習の時間で学習した「古町・本町 お宝再発見」の まとめとしての発表です。

「新潟が開港してどんなことが起こったの?」

  

  

新潟湊に外国船が来て、いろいろんあことを調べたりしました。

 明治政府の新しい県令に楠本正隆という人が任命され、白山公園を作ったりまちのを整備しました。

 

 

にいがた下駄踊りをごらんください

 

皆さんの学習は素晴らしい。

 

みなさんの学習と発表に感動しました。

 

これで交流学習発表会を終わります。

 

  いずれも劇仕立ての工夫された内容で素晴らしいものでした。中でも中条小学校の生徒が考案した、ゆるキャラ「米粉ニャン」の発想に感心しました。また新潟少学校の開港150年の歴史の経緯も素晴らしく、その中で子どもたちによる下駄踊りが見事でした。

 

  by keibo

 

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えんでこ スペシャルまち歩き

2018.03.25 Sunday

3月24日(土)、25日(日)は新潟市中央区主催の

「えんでこスペシャルまち歩き」。

ガイドは新潟シティガイドが担当しています。

 

このえんでこは大変人気があり、抽選で当選した

ラッキーなお客様の他、数回の応募に落選した人も

根気よい応募で当選し、参加されています。

 

 

万代クロッシングに50名のお客様が集合、7グループに

分かれて歩きます。

10時に出発。まずは新潟日報メディァシップの展望階へ。

 

 

展望階からは新潟市中心部をほぼ360度見渡せ、日本海・

信濃川・萬代橋・沼垂等、新潟市民でも知らなかった

お話が聞けます。

 

 

 

 

そしてこれから萬代橋を歩きます。

 

 

市民に親しまれている萬代橋は国の重要文化財。

 

 

石造り、6連アーチの萬代橋は3代目の橋として昭和4年

に建設。昭和39年の新潟地震にも耐えました。

 

 

萬代橋左岸脇にある「新潟ブルースの碑」。

ひっそりとたたずんでいます。

 

 

萬代橋から下って水上バスに乗ります。

中央区のスタッフがお客様の到着を待っています。

 

 

次々に水上バスに乗り込み、出発の準備。

 

 

出発の準備ができました。約1時間の信濃川クルーズへ。

取材はここまで、残念!

この後は昼食を取り午後は沼垂を歩きます。

中央区、えんでこスタッフのみなさま、今回のスぺシャルえんでこ、

お世話になりました。

 

 

中央区主催の「えんでこ」は春と秋の2回開催。

春は5月12日から7月7日までの毎週土曜日。

皆様のご参加をお待ちしております。
(ご案内は4/8付新潟市市報に掲載)

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新潟県政記念館に中学生ガイド

2017.11.16 Thursday

11月15日(水)、高齢者大学卒業生の親睦会のまち歩き。

 

白山神社・公園〜空中庭園〜上古町〜人情横町を歩きました。

 

この日、県政記念館では関屋中学校2年生が体験学習で

 

館内のガイドを担当。

 

フレッシュなガイドに参加者の眼差しが熱かった!!

 

Machiaruki Town Walk on Nov. 15.

When we dropped at Niigata Assembly House, two junior

high school girls stayed there and gave us a guide.

It was an experience learning activity for students.  

Their guide was so impressive and hopefull.

 

県政記念館でフレッシュスタッフの説明を聞く。

 

 

白山公園内,ひょうたん池周りの紅葉。

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「えんでこ」まち歩きが始まりました。  ENDEKO WALK has just started on this Saturday.

2017.05.13 Saturday

「えんでこ」まち歩きが今週から始まり

ました。7月8日までの毎週土曜日開催です。

 

本日5月13日(土)は「発電所の島跡と

白山浦界隈散策・ランチ付き」と

「新潟ど真ん中巡り」の2コース。

 

どちらも定員を超える参加者となりました。

 

ENDEKO WALK has just started today. 

It will be held every Saturday

until July 8th.

 

It had 2 courses, 「Touchable Hakusan-ura」

and「Niigata fancy line」where the place people 

were interested in visiting today.

 

 

「発電所の島跡と白山浦界隈散策・ランチ付き」コース。

新潟市役所前集合。参加者39名。ガイド6名。

 

「Touchable Hakusan-ura」

Gathering in front of the Niigata city hall.

39 participants and 6 guides.

 

 

約100年前、白山浦にあった火力発電所。

 

Thermal power station located in Hakusan-ura

about 100 years ago.

 

 

 

新潟地震で被害のあった越後線線路,橋桁。

 

A railway track and bridge-girder damaged

by the earthquake. 

 

 

 

旧電車通り。

 

The street that trains used to be running.

 

 

 

かつての 新潟県立商業高校校舎と

白山駅(下)。

 

The previous building of Niigata commercial

high school and Hakusan station.

 

 

白山浦界隈の明治、昭和期を巡りました。

 

We walked around Hakusan-ura area and

followed the time of Meiji and Showa era.

 

 

 

そしてお楽しみのランチは大正12年創業のピーア軒で。

現在のカレー(左)と昔のカレーの食べ比べカレー。

 

Lunch at PIA KEN that opened the restaurant about

90 years ago. Two kinds of curry was served.

 

 

参加された皆様にはまち歩き、ランチともに大変満足して頂きました。

他のコースにも参加したいとのご希望が多くありました。

 

大変お疲れさまでした。

また、まち歩きでお会いいたしましょう。

 

Every participant was satisfied with the walk

and the lunch.

Many of them wanted to join other courses,

they said.

 

Niigata city guide would like to meet and walk

with them again.

Thank you and see you again.

 

 

 

 

 

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「高野素十」は父の兄です。(松山政文さん投稿)

2016.11.12 Saturday

驚きのタイトルで始まったブログ。

ガイドの松山政文さんからの投稿です。

 

The amazing title " Soju Takano is my father 's elder brother. "

Here is a post from Mr. Masafumi Matsuyama.

 

 

10月30日(日)、「豪商の館と古町花街巡り」コース。

横浜と茨城からの高野姓4名のお客様で新潟には数回訪れている様子。

 

October 30th, Sunday, the course was " Visit wealthy

merchants' houses and old days' hot spot "

The walkers named Takano were a father from Yokohama and

three sons from Ibaraki pref. They visited Niigata several times

so far.

 

 

「かき正」で俳句を見ながら当時の句会の話をしていた時に、

お客様が「見つけた!!」「この人はうちの父の兄です!!」

「素十の葬式にも出ました」と言ったので大変驚きました。

 

At the moment I told about the Haiku gathering at Kakimasa,

Takanos said, " Found it !!", " The haiku poet Soju is my father's

elder brother !!", " We attended Soju's funeral. "

I was so surprised to hear it !!

 

Soju's haiku in the left

 

 

高野素十は小学校までは茨城県、旧中学は長岡、旧高等学校は

新潟、大学は東京帝大医学部でした。

 

Actually Soju Takano was raised up to the age of elementary

school in Ibaraki pref., and he graduated from a junior high in Nagaoka

and high school in Niigata under an old education-system.

Then he was a graduate of the medical school in Tokyo Imperial University.

 

 

句会の写真を見ながら高浜虚子、中田みずほの話をすると

「知っています」との事。

ここで素十の句に出会えたことに感動していました。

新潟を数回訪れた理由は素十の足跡探しだったのかもしれません。

 

Takanos knew Kyoshi Takahama and Mizuho Nakata as Soju's friends.

They were so appreciated that they met the Soju's haiku unexpectedly.

It might be a reason why they visited Niigata to find Soju's marks.

 

 

私(松山)も広島生まれ・育ち。

かき正の創業者「橋本春霞」の話はするようにしています。

 

My homeland is Hiroshima pref. the same place

as Shunka Hashimoto, who was a founder of Kakimasa.

So I like to tell Shunka's story.

 

 

松山さん、投稿ありがとうございました。

 

Thanks for your post, Mr. Matsuyama.

 

 

まち歩きをするとステキな出会いがありますよ。

ご参加をお待ちしています。

 

Machiaruki walking will let you go to see something nice.

Walk together with Niigata City Guide !!

 

 

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 抹茶味

#古信濃川跡をたどって歩く

2016.08.06 Saturday

7月30日(土)午前、新潟シティガイドの仲間で、古信濃川跡をたどって歩いて来ました。この日の参加者は17人で、案内役はこのことに詳しい会員が当たりました。

スタートは古信濃川の上流側入り口の、信濃川右岸下所島「やすらぎ堤」で、ゴールは下流側出口です。

 

上流側の入り口は注意して見ないとよく分からないくらい、目立たない作りです。

古信濃川1

 

古信濃川3

 

古信濃川2

 

ここからスタートし

下所島ポンプ場 ⇛ 県道小須戸・三条線(かっての信濃川右岸土手) ⇛ 水島町 ⇛ 天神尾踏切 ⇛ 天神尾天満宮通り ⇛ メビウスビル ⇛ プラーカ3 ⇛ プラーカ1 ⇛ 笹口 ⇛ 東跨線橋 ⇛ 長嶺町 ⇛ 新潟市中央図書館(ホンポート) ⇛ 明石通り ⇛ 万代保育園 ⇛ 万代町通り ⇛ 福島製麺所前 ⇛ 本立寺 ⇛ 東港線 ⇛ 魚市場岸壁

までの約3.8キロです。

 

 

新潟日報メディアシップ20階展望室から信濃川右岸を眺めると、万代シテイ、新潟駅、新潟西港など新潟市内で最も繁栄している繁華街となっています。

しかし、この地域はかつて古信濃川と信濃川の本流の中洲で、流作場と言われ,作物を作っても洪水などで流失すろことが多かったそうです。 

当時この地域を支配していた長岡藩は延享5年(1,746)安倍玄的に開発を命じました。

時代は移り、大正11年(1,922)に大河津分水が完成し、河川管理が容易になったことから昭和4年(1,929)信濃川両岸の埋め立てが始まり,昭和40年ころまでに埋め立てられました。

 

やすらぎ堤から降りて道左手に下所島ポンプ場がり、ポンプアップした水を信濃川に放水しています。

 

古信濃川5

 

ここから古信濃川跡に沿って歩きます。

 

古信濃川6

 

最初に出会うのが県道小須戸・三条線との交差点ですが、この道路はかっては信濃川右岸の土手でした。

 

古信濃川7

 

振り返ると歩いて来た川跡の道が信濃川方面に続いています。

 

古信濃川7

 

この交差点を直進し、少し左に進むと水島稲荷神社があります。この神社はその昔、度重なる作流れに対処するため、地域の農民らが石宮を建てたのが始まりとのことです。

 

古信濃川8

 

古信濃川9

 

もとの道にもどり道なりに歩くと越後線踏切があり、これを渡ると天神尾です。

 

古信濃川10

 

線路沿いにしばらく歩くと右手に川跡に作られた天神第二公園がり、ここで小休止です。

 

古信濃川11

 

古信濃川12

 

木陰が涼しかった。

 

ここで右に曲がり左に曲がると新潟駅南口のプラーカ3ビルに突き当たりますが、川筋はこのビルの真ん中を突き抜けていたようです。

 

古信濃川13

 

プラーカ1(ジュンク堂書店)の店内へ入る。

 

古信濃川14

 

ジュンク堂書店内(ここも川跡)

 

古信濃川14

 

プラーカ1ジュンク堂書店の中を突き抜け米山町へと進みます。この道が古信濃川跡かは疑問らしい。

 

古信濃川15

 

更に歩くと東跨線橋がありますが、古信濃川は跨線橋の下を流れていたようです。急な階段を登り下りして跨線橋を越え、長嶺町へと続きます。

 

古信濃川16

 

東跨線橋上から新潟駅方面を魅入る。

 

古信濃川16

 

東跨線橋階段を降りて、長嶺町へ歩く。

 

古信濃川17

 

古信濃川は長嶺町を流れていたようです。

 

古信濃川18

 

左手の東公園脇を右折すると、新潟市立中央図書館前にでます。

ここには

ここに古信濃川の流れありき」の碑と古信濃川の案内板が建てられています。

 

古信濃川19

 

古信濃川の案内板の説明に聞き入る。

 

古信濃川21

 

図書館まえから明石通を横断し、沼垂の古信濃川跡の道を真っ直ぐ歩きます。

 

古信濃川22

 

川筋の道と万代町通りの交差点歩道にには

ここに古信濃川の流れありき

の碑が建てられています。

 

古信濃川26

 

 

沼垂地内の川跡の説明を聞く。

このあたりは他の川筋と異なり早くからまちが形成されていた地域です。

ここでの説明で興味深かったのは、川筋を隔てて沼垂と東万代町など、はっきり町名が別れていることです。

古い話ですが、この川が長岡藩と新発田藩の境界でもあったことから、しっくりいかない時期もあったようです。

 

古信濃川23

 

さらに歩くと、古信濃川ポンプ場に突き当たります。

 

古信濃川24

 

東港線を渡るとピア万代ですが、ここが古信濃川の下流側出口です。

 

古信濃川25

 

汗びっしょりな研修でしたが、ピア万代で昼食し、道程を振り返り解散です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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#"えんでこ”「西海岸公園 歴史と文学の散歩みち」ガイド

2016.07.10 Sunday

7月9日(土)の”えんでこ”は新潟の「西海岸公園・歴史と文学の散歩道」ガイドです。

朝からの雨でしたが、午前10時、スタート地点の護国神社前に集まった方は、7人です。

挨拶

このコースの見どころは、護国神社境内と浜辺の松林の散歩道の中の、碑や像を訪ね、先人、文人たちの歴史と文化の一端を知ることができることです。

主なスポットは

・戊辰の役殉難者墓苑

・砂山の碑

・坂口安吾の碑

・良寛歌碑

・会津八一歌碑

・新潟奉行川村修就像

・ドン山

などです。

スタートしてすぐの護国神社参道左手に

・戊辰の役殉難者墓苑

があります。

戊辰墓苑

 

鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰の役は新潟にも及び、西軍(薩摩,長州,高鍋,など)と東軍(米沢、会津、庄内)の双方に多くの死者が出たといわれています。

 

戊辰墓苑1

 

墓苑内休憩所で概要を説明

 

明治のはじめ,新政府軍側である西軍戦死者の墓碑は、旧新潟大学本部跡に置かれ,新潟招魂社として長く祀られていました。

その後日清,日露戦争以後の戦死者も祀るようになり,「護国神社」と改称され,

昭和20年(1945)5月に現在地に祀られるようなりました。

苑内には西軍戦死者の墓碑が整然と並んでいます。

護国神社が遷座から40を経た昭和60年(1985)、新潟大学の本部跡地から東軍戦死者のものと思われる92人骨が発見されました。集められた遺骨は,この戊辰役殉難者墓苑に移して埋葬され,1987年に「戊辰役東軍慰霊碑」が建てられた。

戊辰墓苑「2

 

戊辰墓苑3

 

護国神社本殿前から海岸の松林へは、散策の小道になっており、辺り一帯の砂丘地は、格好の散歩道になっています。

 

散歩道

 

しばらくすると右手小高い所に大きな四角の石碑が現れます。

・砂山の碑

です。

 

砂山の碑

 

      すなやま

うみは あらうみ むこうは さどよ

すずめ なけ なけ もう ひは くれた

みんな よべ よべ おほしさま でたぞ

くれりゃ すなやま しおなり ばかり

すずめ ちり ぢり また かぜ あれる

みんな ちり ぢり もうだれもみえぬ

かえろ かえろよ ぐみはら わけて

すずめ さよなら さよなら あした

 うみよ さよなら さよなら あした

         北 原 白 秋

 

砂山の碑

 

<碑陰>

詩人北原白秋先生一九二二年此の地に遊び

「砂山」の童謡を作る新潟市民有志相はかり

この詩碑をゆかりの地に建てその面影をしのぶ

一九六一年六月

北原白秋先生童謡詩碑建設委員会

とあります。

 

 

しかし、この辺り一帯の砂丘地は、詩とは異なり荒波に削られ、渚沿いに道路が走り、テトラポットで辛うじて海岸線が維持されています。

名曲「砂山」

作詞:北原白秋

作曲:山田耕筰・中山晋平

このように2人の方が作曲し、そぜぞれ多くの方々に親しまれ、歌われています。

 

砂山の碑1

緑の「つわぶき」が碑を囲むように鮮やかです。

 

さらに歩いていくと、右手の小高く開けたところがあります。

・坂口安吾の碑

です。

丘の真ん中に坂口安吾(1906〜1955)の碑があります。

 

坂口安吾の碑

碑文は

 

「ふるさとは語ることなし」

安吾が亡くなる1っヶ月前に色紙に書いた言葉です。

碑石は安吾の告別式の日に尾崎士郎、檀一雄らが提唱し、昭和32年安吾が好きだったこの地にに建立されました。

22トンの巨石を安田町(現阿賀野市)から運びだしこの地まで移動する作業は、大変な苦労があったと言われています。

安吾の碑

 

安吾碑

 

※坂口安吾は太宰治・織田作之助らとともに゛無頼派゛と称され、戦後の文壇で活躍した流行作家です。代表作に「白痴」、「外套と青空」、エッセイ「堕落論」などがあり、戦後の混乱期に一大センセーションをまきおこしました。

 

次は

・良寛歌碑

です。

 

良寛歌碑

 

草書で書かれた碑は読めませんが、傍らに楷書の碑があり、

  風定まりて 花猶落ち 鳥啼いて 山更に幽なり

                  観音妙智力 咄

とあります。

 

良寛歌碑

・僧侶 ・詩人 ・書家として知られる、良寛さんですが、新潟にも度々足を運んだと言われています。

 

更に

・会津八一歌碑(新潟市市政百年記念で建立)

です。

會津八一歌碑

 

みゆきつむ  まつのはやしのつたひきて  まとにさやけき やまからのこゑ

會津八一は明治14年(1881)〜昭和31年(1956)は、新潟市生まれの歌人・美術史家・書家で雅号は秋艸道人。1956年に新潟市名誉市民

 

しばらく歩くと松林の中に、小高い山が現れ、山の上には大きな侍姿の銅像が建てられています。

・川村修就像

 初代新潟奉行 川村修就の銅像です。

川村修就

 

川村修就1

 

川村は新潟が長岡藩から幕府直轄となった天保14年(1843)初代新潟奉行として9年間在任しました。

この間、新潟にお台場を築き、大砲を鋳造して据え付け、外国船の侵入を防ぐために力を尽くしました。

また、激しい飛砂の害を防ぐため砂防植林を行いました。

その他、風紀厳正、物価安定、民生施策にも取り組み数々の業績で、新潟の発展に大きく貢献したことで知られています。

 

銅像の説明文の中に、川村が詠んだ

     うつし植えし

   二葉の松に秋の月

    梢のかげは

   だれか仰がん

   ー川村修就ー

があります。

 

 

松林の出口近くには

・ドン山

があります。

 

ドン山

 

明治6年から大正13年まで、ここで空砲を打ち、正午を知らせていました。

ドン山1

 

 

海岸砂丘の松林は、散歩道だけでなく多くの見どころがいっぱいです。

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド(ケイボウ)

「新潟市美術館」の見学会

2015.06.29 Monday

新潟市美術館が7月19日(日)のリニュアールオープンされます。

オープン前の6月24日(水)、新潟シティガイド会員の施設見学会があり参加しました。
美術館
美術館
 

美術館では多くの方々から、足を運んでもらうべく、まち歩きガイドをしている新潟シティガイドへの協力を得たい意向のようです。

美術館内は自由に立ち入りできる、スペースが数多くあり、館そのものを見学するのも十分な魅力があると感じました。
美術館美術館美術館美術館

美術館美術館美術館美術館

館の向かいは西大畑公園で、公園西側には刑務所時代の名残のレンガ塀の一部が残されています。
また老舗料亭「行形亭」に挟まれた「地獄極楽小路」もあります。

西大畑公園
西大畑公園西大畑公園

公園は春夏秋冬鮮やかな四季の移り変わりも楽しめます。

美術館の周辺は近代に開発された、お屋敷やレトロな洋館、さまざまな文化施設が点在し、まち歩きのコースにもなっています。

新潟市美術館は、1985年、隣接する西大畑公園とともに旧新潟刑務所の跡地を再開発して整備されました。指名設計競技を経て建物を設計したのは、新潟市出身の前川國男(1905〜1986)。巨匠ル・コルビュジエのもとで学び、日本の近代建築のパイオニアとして長く活躍した建築家です。

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