新潟市観光循環バス

2022.08.07 Sunday

普段、市内移動には車を使わない私は、もっぱらバスと列車を利用しています。

昨日午後、「歴史博物館(みなとぴあ)」に行く用事があり、どう行こうか悩みました。

新潟駅から歩くには時間がかかり、そもそもこの炎天下では歩きたくない。

路線バスは、途中で乗り換えがありちょっと不便。

いろいろ調べたら、「新潟市観光循環バス」が歴史博物館前に止まることが分かった。

このバスは、新潟駅前を出発し、万代シティー本町ー白山公園前ー新津記念館前ー護国神社入口ー水族館前ー砂丘館入口ー北方文化博物館新潟分館前ー古町花街入口ー旧小澤家住宅入口ー歴史博物館前ーピアBandaiー新潟日報メディアシップー新潟駅に戻るコースだ。

夏休みの間は、15分毎に運行され、1回210円だ。

1日乗車券(500円)を買えば、すきな所で下車して見学を繰り返すことができる。

歴史博物館は最後のほうなので、駅から40分ほど時間がかかった。

しかし、主な観光場所についての車内アナウンスがあり、路線バスとは違う楽しさがあった。

バスに乗ったまま、観光案内を聞きながら、駅から駅まで1時間のバス旅も悪くはない。

                           (R.S)

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド(R.S)

船江大神宮でアルビレックス新潟の勝利を祈る

2020.06.27 Saturday

2020.6.27(土)、4カ月ぶりにJリーグJ2が

再開されます。

アルビレックスファンは熱くなっている事で

しょう。

過去に取った写真を掲載します。(2017年撮影)

 

毎年、上古町の船江大神宮で必勝祈願をされている

とのこと。

 

「船江大神宮」は大河ドラマ「天地人」で有名な

直江兼続が、伊勢御師の次太夫に諸役免除の印判状

を与え、新潟神明宮を開かせました。

それ以前にあった船江神社と合祀されて

「船江大神宮」となり、現在に至っています。

ファンの皆様、足を運んでみませんか。

 

午後6時から、甲府市の山梨中銀スタジアムに

熱い眼差しを向けましょう。

がんばれ!アルビレックス新潟!

 

オレンジフラッグを見るとワクワクしませんか。

 

メンバー手書きの絵馬。応援しましょう。

 

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by YOHEI

「新潟大好き 障がい者によるまち歩き」 

2019.09.24 Tuesday

2019年9月22日(日)、第34回国民文化祭、

第19回全国障害者芸術・文化祭事業である

「新潟大好き・障がい者によるまち歩き」の

同行取材をさせていただきました。

 

 

NEXT21、1階フロアに集合。視覚・聴覚・肢体それ

ぞれの障がい者にはサポートガイドが付き添い、

青い法被着用の方がメインガイドさん。(画像左)

新潟シティガイドは補助的に説明をします。(画像右)

 

 

柾谷小路を歩き、スポットをご案内しますよ、と

フリップを使って参加者に伝えます。(右)

 

新潟カトリック教会にて。障害者ガイド、手話ガイド、

新潟シティガイドがタッグを組んでご案内しました。

 

  

旧齋藤家別邸。この日は芸妓の舞鑑賞のイベントが

あり、開始前のひと時に、優雅なお披露目をして

くださいました。参加者一同、このサプライズに

大喜びでした。

 

サプライズは続きます。視覚障害者が芸妓さんと

ご対面。優雅さを感じていました。

 

 

行形亭をご案内して、地獄極楽小路の旧新潟刑務所跡地

のレンガ塀を触って感触を確かめました。(右)

 

 

花街、六軒小路を歩きます。足元にお気をつけて!

 

 

鍋茶屋通りに入り、鍋茶屋の前でご案内。

その時に心に響く感動の熱いお話をされました。

このまち歩きが、いかに有意義な試みだったかを痛感!

 

 

NEXT21に戻る途中のマンホールに「オヤッ!」と。(左)

そしてフィナーレ。事故もなく、ほぼ時間通りに元気に

NEXT21に戻ってきて最後のご挨拶。皆さんの顔には

「良かったよ」「楽しかったよ」が満ち満ちて、感動の

まち歩きを体験させていただきました。

ご参加のみなさま、スタッフのみなさま、同行させて

いただいてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by YOHEI

にじいろカフェ 「西海岸公園・歴史と文学の散歩道」の紹介−2

2019.02.15 Friday

 前回に続き関講師の講演内容の一部をご紹介します。

 

  西海岸公園は松林の小道が通じ散歩には最適ですが、時にはびっくりする物にものにも出合ます。

 

   
その一つが

芭蕉堂です。

  

 コンクリートの建造物のようにも見えますが、建物ではなく、「芭蕉」と朱く掘られた文字から芭蕉ゆかりの記念の石室です。

   

 

    新潟市(旧白根市)出身の画家、吉原芳仙(1807〜1983)が私財500円を投じて制作し、1966年に新潟市に寄贈したと言われています。 

   元禄2年(1689)7月に新潟で一夜を過ごしたとされる松尾芭蕉を偲ぶ作品です。

   芭蕉たちは新潟湊に船で着き、新潟には紹介されていた有力者の家に泊まれず、止むを得ず湊近くの宿 大工源七 に1泊しただけで、翌朝には北国街道(奥の細道では北陸道)を弥彦に向けて出発しました。

 

   堂内には芭蕉の肖像画と由緒書を銅筒におさめたうえ、永久保存のためコンクリート詰めにしてあると言われています。

海に降る 雨や恋しき 浮身宿

 

の句が新潟滞在中によんだとされ、それが石室の側面に刻まれている。
   古町通の船江神社境内にもこの句を刻した句碑があることはよく知られています。

  

またすぐ脇には、同じ作者による「蓑塚」も立っている。
  
   八木朋直胸像
   護国神社内の散歩道の出口近くに八木朋直の胸像があります。  
  八木朋直(1841〜1929)は1841年山形県米沢に生まれ、戊辰戦争で米沢藩の会計方として、新潟を転戦したと言われています。
   明治4年に新潟県庁職員となり、その後、第四銀行の2代目頭取に就任しました 。
 八木朋直というと初代萬代橋の資金提供者として知られています。
 当時新潟日日新聞社社長であった、内山信太郎の提案により資金を提供して1886(明治19年)、初代の木製萬代橋(長さ782m、幅7.33m)を完成させたました。
 内山は新潟と沼垂が川幅7〜800メートル信濃川によって、行き来の不便を強いられていることの解消には、架橋しかないと判断し、架橋計画を出願していました。折から信濃川改修計画が決まり、出願が認められました。
   しかし、内山には架橋資金がなく出資者が必要であった。内山が訪ねたのは当時の第四銀行頭取であった八木朋直であった。しかし八木を説得できず出資を断られました。
   やむなく葛塚町(新潟市北区豊栄)の豪商弦巻七十郎を訪問し、出資の許諾を得た。
  このことを報告したところ、八木は「かかる意義ある事業に対し、新潟市民に出資後援する者がいなく、郡部の人に委ねるのは、市民の恥である」と語り、出資が決まったという。

   その後、橋は1908(同41)年3月の大火で焼け落ちましたが、翌年に2代目萬代橋が完成しました。
やがて、バスの開通など自動車の時代を迎え、木橋は耐えきれず、昭和4年に現在の3代目萬代橋の架け替えとなりました。
  
會津八一歌碑
  
碑 文
みほとけの あごとひぢとに
あまでらの あさの
ひかりの ともしきろかも
中宮寺にて 秋艸道人 
(歌意)
尼寺の みほとけは
頬にあてた指先と
曲げた右肘に
朝の光が優しく反射する
そのお姿はなんと神秘的で
魅惑的なことか
建立趣旨)
會津八一が中宮寺のご本尊・菩薩半跏像を詠んだ歌の碑は 2010年(平成22)11月29日に 中宮寺本堂正面に建立された。
その姉妹歌碑が中宮寺・日野西光尊ご門跡と飛島建設・左野勝司氏とのご好意で 會津八一記念館に寄贈された
八一が若き日と晩年に逍遙したこの松林に建立し 奈良と新潟の縁の象徴とする
 
津八一(1881〜1956) 
  新潟市古町通5番町に生まれる。歌人、書家、美術史家
早稲田大学英文科卒業
 歌人・書家・美術史家。号は秋艸道人・渾斎等。早大卒。中学時代から俳句・和歌を作る。
奈良の古寺を巡遊し仏教美術への造詣を深め、美術学者としての地歩を築くかたわら作歌を本格化、万葉調の平がな書きによる荘重かつ芳醇な歌風で奈良古寺古仏を詠み、世の評価を得た。
 良寛詩碑 
風定花猶落鳥
啼山更幽 観音妙智力 咄
釈良寛書

 
副 碑
風定花猶落 鳥
啼山更幽 観音妙智力 咄
        釈良寛書
読下し
<注>
風定まりて花猶落ち
鳥啼いて山更に幽なり
観音妙智力 咄

 
   良寛が「法華経」を讃嘆して詠んだ 102首の「法華賛」の中の1首で観世音菩薩晋門品第25の末尾に賦したもの
  
僧侶 ・詩人 ・書家として知られる、良寛さんですが、新潟にも度々足を運んだと言われています。 
 
 
川村修就銅像
  

   川村は新潟が長岡藩から幕府直轄となった天保14年(1843)初代新潟奉行として9年間在任しました。
この間、新潟にお台場を築き、大砲を鋳造して据え付け、外国船の侵入を防ぐために力を尽くしました。
また、激しい飛砂の害を防ぐため砂防植林を行いました。
その他、風紀厳正、物価安定、民生施策にも取り組み数々の業績で、新潟の発展に大きく貢献したことで知られています。
 

銅像の説明文の中に、川村が詠んだ
     うつし植えし
   二葉の松に秋の月
    梢のかげは
   だれか仰がん
ー川村修就ー
があります。

 

ドン山

 

  

 

  

  江戸時代、新潟町民に時刻を知らせていた時の鐘にかわり、明治六年(1873)大砲により正午を知らせる事となり、
寄居の砂山に午砲所がつくられたました。
   ここでは大正8年に旧制新潟高等学校の校舎が造られるまでの間、午砲(ドンという音)により正午を告げていました。、
  その後西船見町の砂山【二葉中学(現ゆいぽーと)の近くの場所)】に移動した、大正13年(1924)に午砲が廃止されるまで、午砲所のある砂山は「ドン山」と呼ばれ、長年新潟の名所の一つとして親しまれた。
現在は午砲所と大砲が再現されているのでした。
  by keibo
.

 

新潟まち歩きの「魅力」comments(1)|by 新潟シティガイド

にじいろカフェ「西海岸公園・歴史と文学の散歩道」の紹介-1

2019.02.14 Thursday
 2月10日午前、白山公園の燕喜館で、新潟シティガイドのにじいろカフェが開催されました。
 今回の講師は当会の会員の一人 関克人氏で演題は
 「西海岸公園・歴史と文学の散歩道」です。
  これは新潟シティガイドのガイドコースの一つで、西海岸公園内の散歩道沿いにある、数多くの石碑・歌碑・銅像などの紹介でした。
 講演の要旨を画像などを交えながらお伝えします。
 講師紹介と挨拶
 
関 克人氏の講演開始
 
 コースの概要は下の地図の通りでした

 

主なスポットは
1 歌碑‥会津八一の歌碑
2 詩碑‥良寛詩碑、市島三千雄詩碑、砂山の碑
3 銅像‥川村修就像、八木朋直銅像、竹内式部像
4 その他‥坂口安吾の碑。芭蕉堂、戊辰役殉難者墓苑
など見どころがあります。
   今回の講演では時間の制約もあり、ピックアップしての紹介となりました。
   このコースのスタートは護国神社正面の大鳥居で、神社に向かって進むと左側にあるのが
戊辰役殉難者墓苑です。 
  
  
   鳥羽伏見戦に始まる戊辰役の影響は、新潟市にも及びました。西軍(薩摩、長州、高鍋、新発田)と東軍(米沢、会津、庄内)の双方に多くの死者が出ました。
   明治のはじめ、新政府軍側である西軍戦死者の墓碑が常磐ケ岡(旧新潟大学本部跡)に置かれ、新潟招魂社として祀られていました。
   招魂社は役割を拡大し、日清、日露戦争以後の戦死者も祭るようになり、「護国神社」と改称され、昭和20年(1945)5月には西船見町の現在地に遷されました。
苑内には西軍戦死者の墓碑が整然と並んでいます。
 
 一方の東軍慰霊碑
 護国神社遷座から40年、昭和60年(1985)に新潟大学の本部跡地から東軍戦死者のものと思われる46の人骨が発見されました。
  反明治政府戦士の遺骨であるため、改葬されることもなく忘れ去られていたようです。
 集められた遺骨はこの戊辰役殉難者墓苑に移して埋葬され、新潟大学医学部による慰霊碑が建てられ、また1987年に「戊辰役東軍慰霊碑」が建てられた

 
 このように墓苑には西軍、東軍の隔てなく祀られているのが特徴となっています。
 砂山の歌碑
 
  「砂山」は、北原白秋が創作童謡に力を入れていた頃、新潟の砂浜をうたったもので、白秋の代表的な童謡となっています。
   大正11年に新潟市での童謡音楽会に招待された白秋は、子どもたちの歓迎を受けたのち夕刻、寄居浜に足をのばしたと言います。
   暮れかかる日本海、砂浜、松林という新潟海岸の情景は、九州に生まれ育った白秋に大きな感銘を与え、小田原に帰ったのちこれを詩にして新潟の子どもたちに贈ったものが「砂山」の詩であると言われています。
中山晋平と山田耕筰が、この詩にそれぞれ曲をつけ、今では誰もが知っている童謡となっています。
 
海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめなけなけ もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ
  
暮れりゃ砂山 汐鳴ばかり
すずめちりぢり また風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ
    
かえろかえろよ 茱萸原わけて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした
 
坂口安吾の碑
  
  
  
 
新潟市出身の作家坂口安吾(1906〜1955)の死を偲び、重さ22.5トンの文学碑が砂丘上に建てられています。碑文には安吾が新潟市に講演の時に来た際に宿舎で
色紙に書きつけた

 ふるさとは  語ることなし  安吾    
の文が刻まれている。
     by keibo

  

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新潟小学校の交流学習発表会への参加-2

2019.02.02 Saturday

   午前のまち歩きガイドに続き午後からは、学習交流発表会 (NEXT21 1階 アトリウム)13:30〜14:55

  最初は中条小学校5年生が総合的な学習で学習した、米粉を利用した料理の紹介や活 用方法を発表でした。

 

※ 胎内市は1998年に日本で最初に米粉専用の製粉工場ができた「米粉発祥の地」で す。 市内には、胎内で誕生したご当地グルメ「たいないべえべえ」をはじめとした米 粉グルメや米粉スイーツを提供するお店が数多くあることで知られている。

 

 米粉の利用やと活用方法などについて発表

 

「みなさん米粉のことを知っていますか。」

 

 

 

「微細製粉技術」により、米粉だけで、パンや麺類やケーキ類などを作れるようになり、小麦粉の代わりとして使われるようになりました。

 

米粉でこんなに沢山の美味しい食べ物が作れます。

 

「米粉ニャン」もお手伝いします。

  

 

 

 

これからも米粉の利用や活用が広まるよう頑張ります。 

 

 続いて新潟小学校5年生が総合的な学習の時間で学習した「古町・本町 お宝再発見」の まとめとしての発表です。

「新潟が開港してどんなことが起こったの?」

  

  

新潟湊に外国船が来て、いろいろんあことを調べたりしました。

 明治政府の新しい県令に楠本正隆という人が任命され、白山公園を作ったりまちのを整備しました。

 

 

にいがた下駄踊りをごらんください

 

皆さんの学習は素晴らしい。

 

みなさんの学習と発表に感動しました。

 

これで交流学習発表会を終わります。

 

  いずれも劇仕立ての工夫された内容で素晴らしいものでした。中でも中条小学校の生徒が考案した、ゆるキャラ「米粉ニャン」の発想に感心しました。また新潟少学校の開港150年の歴史の経緯も素晴らしく、その中で子どもたちによる下駄踊りが見事でした。

 

  by keibo

 

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド

えんでこ スペシャルまち歩き

2018.03.25 Sunday

3月24日(土)、25日(日)は新潟市中央区主催の

「えんでこスペシャルまち歩き」。

ガイドは新潟シティガイドが担当しています。

 

このえんでこは大変人気があり、抽選で当選した

ラッキーなお客様の他、数回の応募に落選した人も

根気よい応募で当選し、参加されています。

 

 

万代クロッシングに50名のお客様が集合、7グループに

分かれて歩きます。

10時に出発。まずは新潟日報メディァシップの展望階へ。

 

 

展望階からは新潟市中心部をほぼ360度見渡せ、日本海・

信濃川・萬代橋・沼垂等、新潟市民でも知らなかった

お話が聞けます。

 

 

 

 

そしてこれから萬代橋を歩きます。

 

 

市民に親しまれている萬代橋は国の重要文化財。

 

 

石造り、6連アーチの萬代橋は3代目の橋として昭和4年

に建設。昭和39年の新潟地震にも耐えました。

 

 

萬代橋左岸脇にある「新潟ブルースの碑」。

ひっそりとたたずんでいます。

 

 

萬代橋から下って水上バスに乗ります。

中央区のスタッフがお客様の到着を待っています。

 

 

次々に水上バスに乗り込み、出発の準備。

 

 

出発の準備ができました。約1時間の信濃川クルーズへ。

取材はここまで、残念!

この後は昼食を取り午後は沼垂を歩きます。

中央区、えんでこスタッフのみなさま、今回のスぺシャルえんでこ、

お世話になりました。

 

 

中央区主催の「えんでこ」は春と秋の2回開催。

春は5月12日から7月7日までの毎週土曜日。

皆様のご参加をお待ちしております。
(ご案内は4/8付新潟市市報に掲載)

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新潟県政記念館に中学生ガイド

2017.11.16 Thursday

11月15日(水)、高齢者大学卒業生の親睦会のまち歩き。

 

白山神社・公園〜空中庭園〜上古町〜人情横町を歩きました。

 

この日、県政記念館では関屋中学校2年生が体験学習で

 

館内のガイドを担当。

 

フレッシュなガイドに参加者の眼差しが熱かった!!

 

Machiaruki Town Walk on Nov. 15.

When we dropped at Niigata Assembly House, two junior

high school girls stayed there and gave us a guide.

It was an experience learning activity for students.  

Their guide was so impressive and hopefull.

 

県政記念館でフレッシュスタッフの説明を聞く。

 

 

白山公園内,ひょうたん池周りの紅葉。

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「えんでこ」まち歩きが始まりました。  ENDEKO WALK has just started on this Saturday.

2017.05.13 Saturday

「えんでこ」まち歩きが今週から始まり

ました。7月8日までの毎週土曜日開催です。

 

本日5月13日(土)は「発電所の島跡と

白山浦界隈散策・ランチ付き」と

「新潟ど真ん中巡り」の2コース。

 

どちらも定員を超える参加者となりました。

 

ENDEKO WALK has just started today. 

It will be held every Saturday

until July 8th.

 

It had 2 courses, 「Touchable Hakusan-ura」

and「Niigata fancy line」where the place people 

were interested in visiting today.

 

 

「発電所の島跡と白山浦界隈散策・ランチ付き」コース。

新潟市役所前集合。参加者39名。ガイド6名。

 

「Touchable Hakusan-ura」

Gathering in front of the Niigata city hall.

39 participants and 6 guides.

 

 

約100年前、白山浦にあった火力発電所。

 

Thermal power station located in Hakusan-ura

about 100 years ago.

 

 

 

新潟地震で被害のあった越後線線路,橋桁。

 

A railway track and bridge-girder damaged

by the earthquake. 

 

 

 

旧電車通り。

 

The street that trains used to be running.

 

 

 

かつての 新潟県立商業高校校舎と

白山駅(下)。

 

The previous building of Niigata commercial

high school and Hakusan station.

 

 

白山浦界隈の明治、昭和期を巡りました。

 

We walked around Hakusan-ura area and

followed the time of Meiji and Showa era.

 

 

 

そしてお楽しみのランチは大正12年創業のピーア軒で。

現在のカレー(左)と昔のカレーの食べ比べカレー。

 

Lunch at PIA KEN that opened the restaurant about

90 years ago. Two kinds of curry was served.

 

 

参加された皆様にはまち歩き、ランチともに大変満足して頂きました。

他のコースにも参加したいとのご希望が多くありました。

 

大変お疲れさまでした。

また、まち歩きでお会いいたしましょう。

 

Every participant was satisfied with the walk

and the lunch.

Many of them wanted to join other courses,

they said.

 

Niigata city guide would like to meet and walk

with them again.

Thank you and see you again.

 

 

 

 

 

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by YOHEI

「高野素十」は父の兄です。(松山政文さん投稿)

2016.11.12 Saturday

驚きのタイトルで始まったブログ。

ガイドの松山政文さんからの投稿です。

 

The amazing title " Soju Takano is my father 's elder brother. "

Here is a post from Mr. Masafumi Matsuyama.

 

 

10月30日(日)、「豪商の館と古町花街巡り」コース。

横浜と茨城からの高野姓4名のお客様で新潟には数回訪れている様子。

 

October 30th, Sunday, the course was " Visit wealthy

merchants' houses and old days' hot spot "

The walkers named Takano were a father from Yokohama and

three sons from Ibaraki pref. They visited Niigata several times

so far.

 

 

「かき正」で俳句を見ながら当時の句会の話をしていた時に、

お客様が「見つけた!!」「この人はうちの父の兄です!!」

「素十の葬式にも出ました」と言ったので大変驚きました。

 

At the moment I told about the Haiku gathering at Kakimasa,

Takanos said, " Found it !!", " The haiku poet Soju is my father's

elder brother !!", " We attended Soju's funeral. "

I was so surprised to hear it !!

 

Soju's haiku in the left

 

 

高野素十は小学校までは茨城県、旧中学は長岡、旧高等学校は

新潟、大学は東京帝大医学部でした。

 

Actually Soju Takano was raised up to the age of elementary

school in Ibaraki pref., and he graduated from a junior high in Nagaoka

and high school in Niigata under an old education-system.

Then he was a graduate of the medical school in Tokyo Imperial University.

 

 

句会の写真を見ながら高浜虚子、中田みずほの話をすると

「知っています」との事。

ここで素十の句に出会えたことに感動していました。

新潟を数回訪れた理由は素十の足跡探しだったのかもしれません。

 

Takanos knew Kyoshi Takahama and Mizuho Nakata as Soju's friends.

They were so appreciated that they met the Soju's haiku unexpectedly.

It might be a reason why they visited Niigata to find Soju's marks.

 

 

私(松山)も広島生まれ・育ち。

かき正の創業者「橋本春霞」の話はするようにしています。

 

My homeland is Hiroshima pref. the same place

as Shunka Hashimoto, who was a founder of Kakimasa.

So I like to tell Shunka's story.

 

 

松山さん、投稿ありがとうございました。

 

Thanks for your post, Mr. Matsuyama.

 

 

まち歩きをするとステキな出会いがありますよ。

ご参加をお待ちしています。

 

Machiaruki walking will let you go to see something nice.

Walk together with Niigata City Guide !!

 

 

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