〜北前船の文化と芸妓の歩み〜 特別企画ガイド

2017.11.08 Wednesday

 新潟シティガイドでは11月4日(土)午前(10:00〜12:00)、特別企画ガイド「北前船の文化と芸妓の歩み」と銘打ってガイドを行いました。悪天候の中でしたが、24人の方々の参加者があり、4人でガイドの当たりました。

 

はじめに企画の責任者からの挨拶ありスタートです。

 


 

今回のコース は
市役所正面玄関前集合 ⇒  三献茶屋跡 ⇒ 白山神社 ⇒ 趙願寺 ⇒ 蔵織 ⇒ 愛宕神社 ⇒ 小路巡り ⇒ 会津八一歌碑前 ⇒ 解散
です。

 

 

 

集合場所の市役所は平成元年、旧新潟県庁(1931〜1985)の移転跡地に建設された建物です。

 

 

      旧県庁(1931〜1985)

    市役所前の黒松(保存樹)

 

ガイドの方がコースの説明などをします。

 

 

 

 

スタート地点の 「三献茶屋跡」は新潟町と関屋村の境にあり、この茶屋で旅人や罪人との別れの場所であったが、今ではその形跡は見当たらない。

 

 

   「三献茶屋跡はこの近くにああったようです

 

白山神社
 

 

この神社の主神は菊理媛大神(くくりひめのおおかみ)と言い、加賀の霊峰白山頂上に祀られている女神だそうです。
建立の年代は永禄(1558〜)・天正(1573〜)の二度の火災で記録が失われはっきりしないようです。ただ、元亀年中(1570〜)に、白山神社別当であった宝亀院住職の憲海が、五寸の十一面観音銅像、宝剣、鏡を白山神社に奉納した記録が残されているようです。

 

 

 


 

拝殿に大きな額絵が掲出されています。
新潟県指定有形民俗文化財の「大船絵馬」の額(145×324)です。
新潟港から幕府への年貢米の積み出し、積み込みや帆船の出入りなどの様子を、極彩色で詳細に描いたものです。
左右の遠景に城が二つ描かれていますが、右が大阪城、左が江戸城だという説があります。
作者は井上文昌(幕末の画人)
額主は市島治郎吉(廻船問屋)とされています。
市島次郎吉は豪農市島家の分家筋の三代目とされていますが、御蔵米の回船を独占していた繁盛振りが窺われます。

 

 

百度石                         
回船問屋の大月屋藤蔵宅を宿にしていた、芸州三津町(広島県安芸津町三津)の嘉登屋彦兵衛という人が寄進建立したと言われています。この石と拝殿の間を何度も行きつ戻りつしながら、海上の安全を祈願したのでしょう。

 

 

 

 

昭忠碑
郭一同、献納の門柱(明治26年花街が納めた地方税は全体の3分の1であったという。)

 

 

石灯籠 
白山公園池の畔には、1723年(享保8年)の建立された石灯籠があります。新潟市で一番古い石灯籠だとい言われています。 

 

 

 

蔵織
新潟の芸妓 庄内屋しん(1873〜1937)が晩年を過ごした家です。

 

 

 

 

 

明治6年、東堀通七番町で生まれた風間シンが、庄内屋の女主人佐藤マチに請われてその養女となり、佐藤シンと改名したのは、明治十四年数え九歳の時である。
 さて、この佐藤シンが庄内屋しんの芸名で古町花街へ華々しくデビューしたのは数え十三歳の時。明治十八年十月二十一日発行の絵入り新潟新聞は、「豪気な顔見」と題して、庄内屋の女主人が千円もの大金を投じ、その後長く古町花街の語り草となった‥」(藤村誠 新潟美技列伝より)

 

とあるように美人であったようです。

 

 

明治19年、庄内屋しんは芸妓デビュー1年目の14歳であった。
新潟花街で遊んだ 伯爵 柳原前光(当時37歳)は可憐な美少女しんに魅了されたようです。
この年初代萬代橋は木朋直等によって架橋されたが、しんのファンでもあったようです。
八木等は萬代橋の橋名の揮毫を柳原前光に依頼するに当たり、しんに間を取り持って欲しいと願い功奏したとされる。
前光は大金を投じてしんを落籍し東京へ連れて帰る。
その後暫くして前光は病で臥せることが多くなり、しんは許しを得て新潟に戻り、蔵織で生涯を終える。
現在NHKで再放送中の連続テレビ小説「花子とアン」で、仲間由紀恵の演ずる柳原白蓮は、柳原前光と芸者奥津りょうとの子どもだという。
ちなみに柳原前光の妹柳原愛子は大正天皇の母です。

 

 
    庄内屋しん               柳原前光
 

                     

 
   八木朋直                 柳原白蓮

 

          萬代橋の橋名

 

愛宕神社
本殿は新潟市の有形文化財で市内で最も古い建物で1700年前の建築とされている。

 

 

 

境内には松尾芭蕉の句碑

 


  

     海に降る 雨に恋しき うき身宿

がある。

 

超願寺    

市山流宗家の墓がある。5代目の妹、川田芳子(女優第一号)も祀られている。(新潟市無形文化財)

 

 

           市山流宗家の墓

 

        上古町にある「明和義人館」

 

 

会津八一の生誕の地
古町2の町、3の町は旅籠町で江戸時代の絵が存在している。

 

 

 

 

ここでまち歩きは終了となりました。

雨の中お疲れさまでした。

 

 

                     by keibo

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「えんでこ・まち歩き」ガイド風景 沼垂〜下町

2017.09.23 Saturday

9月23日(祝)、沼垂から下町へ、

「えんでこ・まち歩き」の

ガイド風景を撮りました。

 

Some photos of「Endeko Walk

Machiaruki」at Nuttari and Shimomachi

in Niigata city on Sept. 23.

 

 

 

沼垂定住300年記念の碑。

2人のガイドの個性が光ります。

 

The memorial monument built to mark

the 300th year of the settlement

in Nuttari.

 

 

 

小路の家の前には、こんなかわいらしい物が。

 

While walking, these lovely stuff were

in front of houses.

 

 

ひっそりと佇む小唄勝太郎の碑。

 

The memorial statue of the well-known

singer who was raised in Niigata.

 

 

初めて乗った「みなと循環バス」。

沼垂ー下町間、とても便利です。

 

It is the first time to get on

「Minato belt line bus」

running between  Nuttari and

Shimomachi.

 

 

 

日和山住吉神社。

日和山(12.3m)登山は不可欠。

 

Need to climb the Hiyoriyama

(12.3m high), then you will get to 

the Sumiyoshi shrine.

 

 

気になる店名を発見。

 

I found something strange name in Furumachi.

 

 

まち歩き後はお待ちかねのランチ会場へ。

みなさま、ご参加ありがとうございました。

 

After the walk, the lunch was ready for

the participants.

Big thanks to all to walk with

our Niigata city guides.

 

 

 

 

新潟まち歩きレポートcomments(0)|by 抹茶味

路地連胎内さま主催 「花街の名残をとどめる中条祭りとまちあるき」に参加

2017.09.07 Thursday

2017年9月5日(火)、路地連胎内さま主催の

「花街の名残をとどめる中条祭りとまちあるき」

に参加しました。

 

路地連胎内の面々。頼もしいガイド。

 

中条と言えば、まずは板額御前の説明から。

 

この道を通った外国人は誰でしょう。

イザベラ・バードです。

 

中条キリスト教会の牧師様から、宣教師であり

医師でもあったパーム氏のお話を聞く。

 

パーム宣教師はエジンバラ大学医学部で

先端医療技術を学び、現在の新潟市西大畑に

病院を開業。(明治6年)

建物は現存、新潟シティガイドのコーススポット

になっています。

 

今回参加した新潟シティガイド。

 

元肴屋。江戸時代の中条宿の本陣だった場所。

 

この小路の奥に登記所がありました。

 

古い旅館。

 

黒田屋さんで休憩。各自甘い物を購入。

 

黒田屋さんの若奥様は新潟市出身。(左から2人目)

 

NGT48のメンバーの一人がこのお店の

パンが大好き、との事です。

 

蔵屋敷の『荒惣(須貝家)』事務用品店。

脇には住吉神社。

 

須貝家の内部を見せて頂きました。茶の間。

 

同茶の間。

 

中庭。

 

須貝家の向かいには料亭「南都屋」。江戸末期創業。

瓦には丸五の印。

 

割烹「丸市」。家の中に川が通っているそうです。

 

新潟市名誉市民の会津八一が通っていた表具屋。

 

水のある風景。

 

台輪が巡行を終えて若宮神社に戻ります。

 

山車に芸者が乗り踊りを披露します。

 

まちあるきは続く。

 

南都屋さんの前で。ご祝儀を頂き勢いを付ける。

 

南都屋さんの若女将。

 

この他にお刺身が付きました。

 

夜になり、山車のあおり合いを見物。

五台の山車が競い合いました。

 

 

中条に花街があった頃から100年以上

続いているお祭り。

大人も子供も、町が一体になって繰り広げられた

お祭りにしびれました。

 

このまちあるきでお世話になった路地連胎内さま、

ほかたくさんの皆様にお礼を申し上げます。

感動をありがとうございました。

 

 

 

新潟まち歩きレポートcomments(0)|by 抹茶味

「西海岸砂丘と日和山登山」ガイド(新潟シティガイド特別企画)

2017.07.17 Monday

新潟シティガイドでは7月15日(土)午前(10:00〜12:00)、オリジナルコース「西海岸砂丘と日和山登山」のガイドを実施しました。
参加者は予め募集した24人の方々です。ガイドには3人の会員が当たりました。

コースは
西大大畑公園  ⇒ 地獄極楽小路 ⇒ 行形亭 ⇒ 旧斉藤家別邸 ⇒ 新潟大神宮 ⇒ 御林稲荷 ⇒ ここから西海岸公園内(良寛歌碑 ⇒ 川村修就像 ⇒ 会津八一歌碑 ⇒ 市島三千雄詩碑 ⇒ ドン山 ⇒ 日和山展望台)⇒ 日和山共同墓地 ⇒日和山住吉神社
の約3.2キロメートルです。
終点の日和山では新潟観光カリスマの野内隆裕さんのお話があるという内容です。


 

 

     受  付「こちらで受付をします。」

 

日陰で待ちます。

「皆さま、大勢のご参加ありがとうございます。」

 

受付を済ませた後、3班に分かれてスタートです。

「西大畑公園」は昭和46年(1971)まで新潟刑務所があった場所を整備して公園にしたところです。

 

 

「このレンガ塀は、刑務所の塀で、当時の高さは5メートルもありました。」

 

公園を出て細い小路に出ますが、この道路は砂丘を開削して作られた道路で、道路の反対側には料亭「行形亭」があり、刑務所と隣り合わせになっていることから、地獄極楽小路と呼ばれている道路です。

 

 

地獄極楽小路を右折、白壁通へ出ます。
この通りには、新潟の老舗料亭「行形亭」「旧斉藤家別邸」が隣り合わせで建っています。

 

「行形亭」は江戸時代の中期元禄年間創業と伝わる老舗料亭で、10棟が登録有形文化財になっています。

 


 

 

 

隣にある
「旧斎藤家別邸」は新潟の三大財閥の1つに数えられる斎藤家の別邸です。大正6年から9年にかけ建設されました。その後所有者など紆余曲折を経て、平成21年新潟市が取得しました。平成27年国の名勝に指定され、大勢の人たちが訪れる人気スポットになっています。

 

 

「新潟大神宮」は明治9年伊勢神宮の分社として建設され、皇大神宮の分霊を捧持する。現在の社殿は明治17年に建設されたものです。

 

 

境内参道には新潟市出身の無頼派を代表する坂口安吾が16歳で上京するまで過ごした生家があったことを示す、「坂口安吾」生誕の地の碑」があります。

 

「ここが坂口安吾生誕地です。」

 

 

また、境内には会津藩 殉節の碑」あります。

「戊辰23回忌にあたる明治23年に建立された、会津藩「殉節の碑」です。」

 

 

「御林稲荷」
「新潟の年寄り小田平右衛門が遍座したと伝えられている神社です。」

 


 

 

「新潟は砂丘地のため坂が多いところです。」

 

 

「大きいですね。」

 

 

 

いよいよ西海岸公園に入ります。

 

「良寛歌碑」
平成5年建設の歌碑です。
「風定まりて花猶落 鳥啼いて  山更に幽なり 観世音妙智力 咄 」
とある。
 

 

 

 

「川村修就像」
天保14年(1843)幕府領となった新潟町の初代奉行で、約10年間在勤した。
平成15年着任150年を記念して建立されました。

 

 

 

水分補給と休憩も大事です。

 

「会津八一歌碑」
平成元年市政100年を記念して建立されました。
「みゆきつむ まつのはやしを つたいきて まどにさやけき やまがらのこゑ」
とある。

 


「ドン山」
ここで、明治6年から大正13年まで空砲を撃ち、正午を知らせていました。

 

 

「いい眺めですね。」

 

 

「この松林のある所は標高27メートルで、新潟島で一番高い場所です。」

 

 

「日和山展望台」
明治14年、砂丘の上に船見櫓や茶屋が建てられ新日和山と呼ばれる新潟の名所となり、昭和11年7.2メートルの展望台が建てられました。今の展望台は昭和52年完成の2代目で高さ9メートルです。

 

 

 

「わ〜い。高い。」

 

「日和山・住吉神社」
標高12.3メートル。新潟町が出来た頃、信濃川河口付近で唯一の高台でした。
日和見・入出港船の見張りや水戸教(水先案内・海難救助など)の業務は、亨保5年(1865)まで伊藤家の世襲になっていました。この業務は県営となる昭和4年まで続きました。河口が土砂の堆積で遠のいたため、慶応元年(1865)船見番を河口に近くに移転しました。
それにあわせて伊藤家の邸内に奉じていた住吉の大神を日和山に移し」、住吉神社としたのです。社殿は平成22年に修復されたものです。

 

「この日最後の登りの、日和山への階段。あと一息。」

 


平成22年に修復された、住吉神社。

 

山頂で「日和山五合目」館長 野内隆裕さんのお話を聞きます。

新潟の地形の特徴や町の歴史などを、分かり易く説明して頂きました。

 

 

 

ここでこの日のまち歩きは終了です。

お疲れさまでした。

 

                                      by keibo    

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たのしく学ぼう!体験しよう!日本遺産 北前船の世界」

2017.07.10 Monday

新潟シティガイドでは7月9日(日)午後(13:00~15:00)「海と日本プロジェクト in 新潟 実行委員会BSN新潟放送」主催の「たのしく学ぼう!体験しよう!日本遺産 北前船の世界」というイベント参加者のガイドをしました。
参加者は予め募集の新潟県内の小学5年生と保護者20組40名です。
ガイド役は新潟シティガイドの4人で、参加者はこれに合わせ4班に分かれそれぞれに主催者側のスタッフが同行します。

今年4月、文化庁が認定する「日本遺産」に、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落〜」が選ばれ、北前船への関心が高まっています。
認定された構成文化財の中で、新潟市からは11件が選ばれていますが、今回はこの内の、
・「湊稲荷神社願懸け高麗犬」
・遭難から逃れたことに感謝し奉納した、金刀比羅神社の「金刀比羅神社難船彫刻絵馬」
・豪商の館で「北前船の時代館」の名称を持つ「旧小澤家住宅」
・海上安全を願った「金刀比羅神社奉納模型和船」
の4施設を歩いて回ります。
コースは

みなとぴあ」⇒「湊稲荷神社」⇒ 「金刀比羅神社難船彫刻絵馬」⇒ 「北前船の時代館」の名称を持つ「旧小澤家住宅」 ⇒ 海上安全を願った「金刀比羅神社奉納模型和船」 ⇒ 「みなとぴあ」
です。

「みなとぴあ」内での打ち合わせ・ガイド紹介

  ガイドが始まると参加した子ども達はメモを取るなど、熱心さが伝わってきます。
聞くところによると、今回の参加者から6人が選ばれ、8月7日(月)〜9日(水)北海道交流会(小樽にて開催)に参加できるとのことです

4つの班に分かれて歩きます。

・旧税関庁舎・石倉の2つは1869年(明治2年)新潟が開港された年に建設されたもので、昭和44年まで使用されており、国指定重要文化財で、敷地は史跡になっています。
ガイドのみなさんは、・旧税関庁舎・石倉の説明で開港五港のことを交えて小学5年生にも分かるよう易しい言葉を選んで説明していました。

「みなとぴあ」には、新潟市歴史博物館、旧第四銀行住吉町支店、旧税関庁舎、石倉の4ツの施設があります。」

 

「信濃川は全長368キロメートルで、日本一長い川です。長野県では千曲川、新潟県に入って信濃川と呼ばれています。」

 

「・旧税関庁舎・石倉の2つは1869年(明治2年)新潟が開港された年に建設されたもので、昭和44年まで使用されており、国指定重要文化財で、敷地は史跡になっています。」

 

「開港5港は、函館、新潟、横浜、神戸、長崎です。」

 

歩いて最初の立ち寄り場所は、「湊稲荷神社」です。

 

「この神社は湊稲荷神社といいます。」

湊稲荷神社は今から302年前の1716年(亨保元年)の創建とされ、新潟湊に入る船は、この神社の森を目指して運行したと伝えられています。
神社は丁度お祭りになっていて、普段とは違った賑わいが見られまいた。

 

ここでの人気はやはり「回る願掛け高麗犬」で女子は左、

 

男子は右に分かれ、それぞれに回しながら何かを願っているよな姿が見られました。

 


「日本遺産認定 構成文化財」 の垂れ幕が誇らしい、湊稲荷神社。

 

 

次の立ち寄りは、金刀比羅神社(寄合町)です。この神社には1897年(明治30年)に奉納された「難船彫刻絵馬」があり、昭和59年市有形民族文化財に指定されています。この絵馬には1822年(文政5年)回船問屋、鈴木彌五左衛門の持ち船「白山丸」が遭難から救われた様子が欅の一枚板に彫られています。

社殿内を除き見る参加者。

金刀比羅神社の社殿内に奉納された「難船彫刻絵馬」。

 

3番目の立ち寄り先は、北前船の地代館です。上大川前通に面し、明治初期には回船問屋を営み、その後運送倉庫業、米穀流通、地主経営などに進出し財を成しました。

平成14年に敷地建物は新潟市に寄付され、平成23年7月から一般公開されました。

子どもたちは、この説明も熱心にメモしながら聞いていました。

 

小澤家内の様子。

 

最後は金刀比羅神社(西厩島町)です。
この神社は1869年(明治2年)に古町新田町から移転して来ました。
船主が航海の安全を祈願した模型和船(国指定重要有形民族文化財)が保管されています。

 

 

       金刀比羅神社境内。

 

神社の方から保管倉庫を開けて頂き、詳しい説明がありました。


奉納模型和船の解説をする神社の方。

 

今回のガイドは、ここが終点です。

 

ここから「みなとぴあ」まで歩き、今回のガイドは終了となりました。暑い中、親子の皆さん、スタッフ皆さん大変お疲れさまでした。

 

 

 

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えんでこ「新潟造船見学と戦争の記憶巡り」ガイド取材

2017.07.04 Tuesday

新潟シティガイドでは、7月1日(土)午前(10:00〜12:30)、えんでこ(新潟市中央区主催のまち歩きイベント)「新潟造船見学と戦争の記憶巡り」のガイドをしました。
参加者は22人で4人のガイドが当たりました。
この日は朝から雨模様で心配しましたが、雨は一時的に降ったのみでした。
このコースは新潟西港信濃川左岸の「みなとぴあ」から河口近くまでを歩き、その間にある新潟造船蠅搬席人寮鐐茲砲泙弔錣詒畄爐覆廟鐐茲竜憶を巡るのことが主なテーマになっています。
スタートは「みなとぴあ」で ⇒ 臨港丸発着場跡 ⇒ 新潟造船株 ⇒ 鈴木の金刀比毘羅神社 ⇒ 水戸教公園 ⇒ 宇品丸慰霊碑(ゴール)
までの約3.5キロです。
       

スタート地点の「みなとぴあ」は、
・旧税関庁舎・石倉・新潟市歴史博物館・旧第四銀行住吉町支店の4ツの施設で構成されています。

この内 、 ・旧税関庁舎・石倉の2つは明治2年(1869)新潟が開港された年に建設されたもので、昭和44年まで使用されており、国指定重要文化財で、敷地は史跡になっています。

     旧税関庁舎(国指定重要文化財

         石 倉

 

「来年(平成30年)は新潟開港150年に当たります。」

 

・新潟市歴史博物館は平成16年にオープンした建物で、外観は2代目の新潟市役所をモデルにしこれを1.6倍に拡大して建てられています。

         新潟市歴史博物館

・旧第四銀行住吉町支店は昭和2年建築された鉄筋コンクリートで、平成15年現地に復原されたものです。

                 旧第四銀行住吉町支店

 

「忠実に復原されました。」

「みなとぴあ」に隣接するみなと左岸には、「千の風」モニュメントが設置されています。

      千の風モニュメント

         「新井満」氏の書

「数多くの市民等の方々の募金によって完成されました。」

「みなとぴあ」から左岸沿いに河口方面へしばらく進むと、港に面して今回のコースの主要テーマの新潟造船蠅あります。

明治38年新潟鐵工所造船工場として操業開始し、明治、大正、昭和の約100年にわたり新潟県の最大製造企業として発展してきました。しかしながら、経営環境の悪化により平成15年4月からは、三井造船螢ループ会社として同鉄工所の製造事業を継承し、新潟造船蠅箸靴道業を継承し、新潟造船蠅箸靴徳篭罰始しました。
主要設備は第一、第二ドライドッグ、船台等を持ち、新造船や船舶修理など新技術で対応し、その技術力は国内外から高い評価を受けています。

 

会社内は2班に別れ社員の方に案内してもらいましたが、造船中のドッグは見応えがありました。
 

ドッグでは500トンの船舶が製造中です。

 

「見学では緑色の通路内を歩きます。」

 

「修繕中の船舶」

会社敷地内川辺で、シティガイドから、今から72年前の昭和20年7月2日に起きた「鉄工丸」事件ついての説明がありました。

「当時鉄工丸は新潟鉄工所の艀(はしけ)で、信濃川左岸の入船工場と右岸の山ノ下工場との間の通勤用に運行していた。
午後5時5分、仕事を終えた所員や勤労動員の生徒ら70人ほどが乗る艀が触雷、新潟第一工業学校・新潟第二工業学校・相川中学校の動員学徒12人と、鉄工所関係者16人の計28人が死亡、後日さらに2人が死亡した。」

との説明でした。

 

当時、新潟市は信濃川河口を港とする日本海側屈指の港湾都市であり、新潟港と北朝鮮を結ぶ日本海航路は東京と満州を結ぶ最短路であった。
大戦末期には太平洋側の制海権が保てなくなり、新潟港の重要性は急激に高まった。
そこで米軍は海上封鎖という手段を取ったのです。
新潟市が受けた空襲は、新潟港の封鎖を目的とした米軍による機雷投下が主であり、B29による機雷投下は昭和20年5月14日から8月1日までの12回を数えると言われたいます。
鉄工丸はその機雷による犠牲でした。

 

新潟造船蠅鮓紊砲靴銅,蓮⊃絽誘妓園です。

水戸教公園は信濃川河口に近く、かつて水先案内や海難救助などの仕事を行う建物があったところです。江戸末期、旧日和山から水先案内の場所をこの地に移し、県営となる昭和4年ま代々伊藤家が受け継いでいたところです。

平成10年この地は水戸教公園として整備されました。


この場所には
・平和記念碑(平成10年建立)があります。
 太平洋戦争末期、米軍の攻撃や機雷による犠牲者をはじめ太平洋戦争で犠牲となった新潟市出身の軍人軍属や市民及び捕虜・強制連行された外国人の犠牲を悼む慰霊碑です。
毎年8月10日平和祈念の慰霊祭が行われています。


 

この日のゴールは「宇品丸慰霊碑」です。

昭和20年8月10日の空襲で信濃川河口で触雷により座礁していた、軍用船「宇品丸」が唯一応戦し、分かっているだけで死者19名、負傷者百数十名と多数のぎ性を払い、市民を救ってくれたとして、昭和32年木製の慰霊碑が建てられた。その後昭和34年コンクリート製の慰霊碑が建てられ、平成14年みなとトンネル開通に伴いこの地に移設されました。

 


      碑 文 記載の碑

 

「皆さん、大変お疲れさまでした。」

 

今回のガイドここで終了となりました。

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東京スリバチ学会「八幡山遺跡・越後平野の生まれたキワをめぐる…」

2017.06.27 Tuesday

東京スリバチ学会主催のまち歩きが6月24日(土)・25日(日)の2日間に渡り秋葉区で開催されました。
初日は「鉄道のまち新津の商店街&石油産業の置き土産」
2日目は「八幡山遺跡・越後平野の生まれたキワに立つ&石油の里の遺構をめぐる」
というスリバチ学会らしいテーマです。
初日は参加できませんでしたが、2日目の25日(日)に参加してきました。
ガイドに当たったのは「路地連新津」の方々です。
午前9時過ぎにはJR新津駅3番線ホームには約100人が集まっていました。

まち歩き参加者約60名のほかSLばんえつ号物語の到着と見送りを待つ人達です。

 

午前9時50分、蒸気機関車特有の轟音とともに「SLばんえつ号(C57180号)」がホームに入ってきました。

 


間近で見る列車はさすがに威風堂々としてて人気のほどが理解できます。

 


 

 

 

14分間停車の後11時14分定刻に会津に向かって警笛一発発車して行きました。

 

その後、参加者全員は、信越線登り新津駅発10時27分 ⇒ 10時31分古津駅降車。
駅前で参加者の受付確認とまち歩き概要説明を聞いた後スタートです。

スリバチ学会のまち歩き参加者は、東京の方が中心ですが、遠くは神戸・名古屋・埼玉・秋田等遠くからの参加者が多いのにびっくりします。


 

 

コースは古津駅〜約1キロ ⇒ 八幡山遺跡 ⇒ 新潟県立植物園約2.5キロ ⇒ 

階段の登りがかなりきつい。

 

古津八幡遺跡の頂上からの眺め

 

遺跡内を散策中の参加者。

 

 

ふむふむ。燻蒸の臭いがプンプン。

 

遠い昔の生活に想いを巡らす参加者たち。

 

遺跡の山を下り更に2.5キロあるき、石油の里 「里山ビジターセンター」

昼食休憩です。

 

午後は2班に分かれ
Aコースは 地形地層から新潟平野のキワと石油の層をみる。石油文化遺産。
Bコースは 石油王の館、中野邸記念館と四季の庭、泉恵園
ここではBコースを選択し、ガイドして頂きながら、久しぶりに中野邸を見学ることができました。

 


中野邸記念館の邸内から眺めた庭。

中野邸記念館の邸内廊下。

中野邸記念館の邸内の部屋。

石油王 中野貫一翁 の画像

 


今も残る石油池。

興味深く見入る参加者。

見学終了後〜約2.2キロ ⇒ 矢代田駅

矢代田で解散式。

 

参加した「新潟シティガイド」のメンバー。

 

矢代田駅前で解散式で終了となりましたが、参加者がそれぞれの会のPR、イベント情報の紹介などがあり、参加者の意気込みが伝わってきました。
  
まち歩きの楽しみは、歩きながらの参加者同士の会話です。
遠くから参加者の地域情報や、まち歩きの会の情報交換など様々な話題もでき大変参考になりました。 

徒歩総距離は約5.7キロですが最初の八幡山遺跡の登りがあり汗びっしょりでした。


 

新潟まち歩きレポートcomments(0)|by 新潟シティガイド(管理者)

中途視覚障害者の皆さまのまち歩きガイド取材

2017.06.06 Tuesday

新潟シティガイドでは、4日午前、(10:30〜12:30)中途視覚障害者連絡会の方々22名のガイドをしました。ガイド説明

コースは「白山神社・白山公園ミステリー及び上古町」です。
シティガイドが同会をガイドするのは今回で3回目です。

中途視覚障害者は病気や事故などの理由で視力を失った方々で、今回のまち歩きはサポート役に17人の方々が付き添っておられました。
10時30分白山公園参道脇に集合しスタートです。
付き添い役の方を含め41人が5班に別れて頂き、それぞれにガイドが1名当たります。

 

最初は白山公園・同神社内のガイドです。
境内には段差のある個所や階段も多く、付き添い役の方の誘導で随分助かります。
健常者のガイドと違い、手持ちの資料をお見せしての説明ができないなど、工夫が必要です。
 

障害者ガイド

 

白山公園内には数多くの銅像や狛犬などがありますが、それらの説明には出来るだけ触って感触で感じて頂くことになります。
幸いサポート役の方々が多く付き添って下さいましたので、お手伝い頂きなが感じ取っていただくことができました。

 

 

同会の会長さんによると、
「まち歩きは経費も安く気軽に参加でき、参加者同士の交流にもなり大変好評です。」


とのことでした。

 

「口を開けている」

 

「水使いや手洗いには、作法があります。」

大きいですね。」

「山田太郎ですか。」

 

参加した方は
「ガイドさんの説明は大変分かりやすく、白山公園や神社のことがよく理解出来ました。白山公園や神社の奥深いことを知ることができ、良かったです。」
と好評でした。
今回のゴールは古町5のレストラン「柳都庵」で白山公園から古町通りをそぞろ歩きガイドも皆さん楽しんでおられたようです。

新潟まち歩きレポートcomments(0)|by 新潟シティガイド(管理者)

「えんでこ 鳥屋野の伝説と逆ダケ」

2017.05.29 Monday

 

「えんでこ 鳥屋野の伝説と逆ダケを訪ねる」

 

5月20日に開催されました。

今回初めてのコースでしたが、鳥屋野地域には「順徳上皇」と「親鸞聖人」の足跡が

色濃く残っている地域だと改めて分かりました。

「新潟」の地名が約400年前から使われる様になったのに、

鳥屋野は800年もの歴史がある訳です。凄いですね。

しかも、民族伝承的文化の視点からも地域の皆様がこの歴史を大切にし、

生活の中に今も生きている事をとても嬉しく思いました。

こんなに素晴らしい「鳥屋野」を今後も大勢の市民や全国に発信して行ければと感じました。

 

まち歩きの道順に沿って紹介しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日のコースマップです。


この地域は限られた範囲に史跡が濃厚に残っている事が分かります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

順徳天皇の御装束塚跡

 

出発地点、鳥屋野小学校の近くの標識

承久の乱の後、承久三年(1221y)寺泊より流刑地の佐渡に向かって出航しましたが、

天候が荒れ波高く航海が不可能となり引き返され、この地、鳥屋野の浦に着船しました。

その時の船着き場を「装束塚」として伝わっています。

 


 

 

「山城家発祥の地」の碑

 

順徳上皇のお供を従えてこの鳥屋野に来られましたが、

内一人が事情により佐渡へは行かれず、この鳥屋野に止りました。

上皇は京の地名「山城」因み、此処に止まる事となった

お供の者に「山城」と命名したと伝えられています。

以来、「権之兵衛」の屋号で今日に至っているとの事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥屋野神社

 

順徳上皇が佐渡へ向かって出立された八十八夜の日を偲び、新暦5月8日に開催される宵宮は、

今でも村中で灯籠を燈し盛大に行われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥屋野神社境内の順徳天皇歌碑

 

「はしたかの 鳥屋野の浅茅 ふみわけて おのれと帰る 秋の狩人」

(続古今和歌集に順徳上皇の歌として載っている。 書は相馬御風です。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥屋野六階節


親鸞聖人が三年半の間この地で布教の折、都の手振りを教え、自らも舞踊られて仏法を説かれた。

その後、順徳上皇がこの地に滞在の折、里人がこの舞踊を上皇にお見せした所、お付きの人が御所の踊りを加え、

憂い多い上皇のみ心をお慰めしたと言われています。

この踊りは、新潟市の民族伝承文化財として今に伝えられています。

当日は、地域の皆様のご好意により、実際の踊りをご披露して頂きました。

一節、一節、当時を伝える逸話がある事に感激しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西方寺

 

本尊は阿弥陀立像 真宗大谷派 開基は弘安五年(1282y)能登の国に創建。

元和五年、本山の命により、逆竹古蹟の保存として現地に移住し、鳥屋野の西方寺となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御枕石

 

親鸞聖人が滞在中、枕にされていたと伝わる石との事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親鸞聖人御旧跡

 

越後での布教活動の拠点となった場所。

親鸞聖人の歌碑、立像、袈裟かけの松、お多屋(説教場)などがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親鸞聖人歌碑

 

「この里に 親の死したる子はなきか 御法の風に なびく人なし」

 

鳥屋野での親鸞の教えが広まらない事を嘆き、悲しまれた歌。

 

 

 

鳥屋野逆竹

 

国の天然記念物 大正11年10月12日 (国指定文化財)

逆竹の藪は、ハチク(淡竹)の密集。面積は8,400屐

今は、新潟市の管理となっており、竹林の中も整備が行き届き、

歩きやすい遊歩道となっています。

街中の喧騒もかき消され、風にそよぐ葉擦れの音と野鳥の声に、

時空を超えた歴史の渦の中に吸い込まれて行く様に感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逆竹

 

親鸞聖人が、布教が受け入れられない事に、嘆き悲しみ、

持っていた竹の杖を逆さに地面に突き刺し、

「自分言ってることが間違ってなきゃこのまま育つはず……!」

とか無茶な事を言い出します。ところが驚くべき事に、

突き立てられた竹は逆さのまま成長して、ついには竹林になったとの事です。

この写真は枝がぢ面に向かって成長している様子を写したものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛宕公園


大同二年(807y)弘法大師が越後巡錫の折、愛宕山に立ち寄られたという言い伝えがあり、

鳥屋野の里人もこの付近に住んでいたと伝わっています。

 

ここが、ゴールです。

天候にも恵まれ、とても有意義な、楽しい、まち歩きでした。

 

 

 


 

 

 



 

 

 

 


 

新潟まち歩きレポートcomments(0)|by 進ちゃん

「えんでこ」まち歩き中のガイドをちょい見  Have a look at guides' faces at ENDEKO WALK

2017.05.21 Sunday

「えんでこ」まち歩き第2週目の5月20日(土)、

この日のコースは『下町お店巡り・

「うんめぇもん」ランチ付』と

「鳥屋野の伝説と逆さダケを訪ねる」の2コース。

 

どちらも参加者多数となりました。

 

The second week of ENDEKO WALK.

Courses were「Drop at Niigata food shops

and stores in the old town with lunch」and

「Toyano folklore and bamboos grown

inverted 」

Two courses were full of people who were

attracted to town walking. 

 

「下町お店巡りコース」を

ガイド中のガイド達のショットです。

お馴染みの人はいるでしょうか。

 

Caught the guides doing their work,

do you know anyone ?

 

 

 

 

 

 

5名のガイドがそれぞれのシナリオでトーク。

きっと楽しんでいただけた事と思います。

 

5 guides have 5 special stories.

Surely everyone enjoyed 「ENDEKO」walk.

 

 

そしてお楽しみのランチ。

大満足ですね。

 

And at last ! Lunch was ready !

Go for lunch !

 

 

「えんでこ」まち歩きはまだまだ続きます。

 

「ENDEKO」WALK  is  still continued.

 

 

 

 

 

新潟まち歩きレポートcomments(0)|by 抹茶味
 

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