旧新潟税関庁舎(国指定重要文化財)改修工事完了オープン

2019.01.12 Saturday
   旧新潟税関庁舎は平成28年から改修工事のため、閉館していましたが、昨年11月工事完了し、今日(1月12日)から一般公開されましたので見学してきました。
 この建物は(国指定重要文化財(建造物)明治2(1869)年建築物です。
   幕末から明治初期にかけて海外に開かれた国内五つの開港場(函館・新潟・横浜・神戸・長崎)で、唯一現存する開港当時の運上所(税関)です。
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
   
説明によれば、
「建物が建っている土地は川辺の埋め立て地のため、地盤が弱く昭和39年の新潟地震では地盤が沈下し、建物が庁舎建物が傾斜しました。今回の工事に先立って行われた耐震診断でも震度6以上の地震で地盤は液状化し、建物が倒壊する恐れがあることがわかりました。開港150年を機に、旧新潟税関庁舎を市民のシンボルとして後世に長く保存して活用するため、次の3つの工事が行われました。
1 地震と液状化に備えた耐震補強工事
2   外観を化粧直しする保存修理工事
3 火災や犯罪に備える設備改修工事
一連の工事は平成28(2016)年度から始まり、この度終了しました。」
とあります。
   久しぶりのオープンでもあり、大勢の見学者でした。
 今日は特別に高さ15メートルの塔屋まで開放されており、開港当時に思いを寄せて来ました。
 
  
  
  
 見覚えのある方々もガイドやら何やらで活躍しておられました。
  
  
  by  keibo
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新潟大神宮への参拝と見学

2019.01.09 Wednesday

 

  新潟シティガイドでは、1月9日(水)午前(10時〜11時30)会員30人が、新潟市中央区西大畑所在の新潟大神宮へ揃って参拝し、その後宮司さんから同神宮の歴史の説明や資料を拝見させていただきました。

 

 

 はじめに本殿においてお祓いを受けて参拝した後、別室でお宝の拝見と宮司さんからの神宮の歴史などの説明をお聞きしました。

 

 

 

拝見した展示物の内、 明治14年新潟市実測地図 は、当時の堀や川、建物等まで細かく表示されており、町の様子が一目で理解できる貴重なものでした。

 

 

 宮司さんの説明では、明治5年明治政府の意向もあり伊勢神宮が神宮教院のため全国の主要地に大神宮を設置するとの方針で配置されたとのことです。

 新潟では明治9年に上大川前通りの吹屋小路に伊勢神宮の新潟本部としてが分霊されましたが、明治13年の新潟大火により焼失し、現位置に再建されたのは明治17年のことだそうです。

 

   

 神宮は明治以降、天皇皇室の祖先神を祭神とする意味から、社号を「神社」から「神宮」に改めたことのようです。

 新たに「神宮」の社号を名乗るためには勅許が必要であった。しかしながら戦後は神社の国家管理は廃止されたため、「神宮」号を名乗る際に勅許は不要となったようですが、現実には神社本庁の管理下にあるようです。

 

 

  by keibo

 

 

 

 


 

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新潟シティガイド定例会と交流会(忘年会)

2018.12.23 Sunday

 

  12月22日(土)午後(13:30〜16:30)新潟市中央区八千代の総合福祉会館で、新潟シティガイド定例会を開催し、これに続き17:30〜19:30まで新潟市中央区東堀通り料亭割烹「かき正」で交流会(忘年会)を開催しました。

 定例会で、今年度4月〜12月のガイド実績がわかりました。

 

平成30年度ガイド実績(単位名)
   4月〜11月        前年同期
通常ガイド(@500) 2144 2158
学校関係 849 666
合計 2993 2824
ガイド数 550 551

 

  この状況見ると、通常ガイドが前年比14名減少しています。その主な原因は中央区主催の・えんでこガイドが

前年の769名から570名に減少したことによるもので、今後の課題となりそうです。

 

 夕方からの交流会の会場「かき正」は創業者がホトトギスの同人(俳号橋本春霞)として知られた老舗料亭です。

代表の挨拶・乾杯に続き普段のガイド活動にはない交流を深めることができたようです。

  

 

 

 

   

   

 かき正では、終戦時から高浜虚子、高野素十、中田瑞穂、高橋すすむ等と同店で句会を開いていたことで知られており、昭和23年の句会には、当時としては大変豪華な桜鯛が並びました。

 

 

  

 玄関正面には高浜虚子の

 

 

かき正が 揃えたりやな 桜鯛

の句を刻んだ彫刻額が掲出されており、虚子ゆかりのお店であることがよくわかります。

 

    by keibo

 

 

 

 

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移動顔座「にじいろカフェ」白山浦にあった新潟市の電気発祥の地と堀の話

2018.12.17 Monday

   新潟シティガイドでは、設立10周年を記念し、移動講座にじいろカフェを開催しています。

12月16日(日)午前、第3回目を会員など30人が参加し、白山公園内の燕喜館で開催しました。

   今回の講師は、当会1期生の深澤一彦氏で、演題は

「にじいろカフェ」白山浦にあった新潟市の電気発祥の地と堀の話

でした。

  

 

  

 

発電所のあったところは下図の薄黄色の場所で、白山浦旧電車通の南側に堀を挟んで江戸時代から小さな島があり、この島に明治の中頃新潟に初めて電灯の明かりを灯した火力発電所ができたということでした。

その後、埋立てにより島は消滅したが、現在当時の堀跡は細い露地として残っているという。

 

 

 

 

 

  深澤さんの話の概要は以下の通りです。

 

 

 

ここに明治30年「新潟電灯会社」が設立され、石炭焚きボイラーによる発電機1基をもって翌31年に市内、632灯の電灯が点された歴史が判りました。

 当時、電気料金は高額で役所や裕福な大店だけでしたが、その後、需要家の増加につれ明治34年に発電機をもう1基増設し、市内配電を続けました。やがて明治40年代になると水力発電の時代となり、新潟電灯会社も近郊の発電所の買収を巡り別々に分かれることになり、新潟電灯系の「新潟水電会社(後の新潟電気会社)」と新たな「新潟水力会社」の二社となり、新潟市内と沼垂町に於いて、明治42年から大正12年までの間、熾烈な戦いが展開された。具体的には市中電柱送電系路二社併列(道の両側)で、電気料金の値引き・灯数サービス・謝礼金等過当競争が続いたが、大正13年両社間で営業不可侵協定が結ばれ終結となりました。

 

 

 

 

深澤氏の説明資料

 


  
   

  

        by keibo

 

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小澤家の繁栄と北前船が運んできた新潟民謡(新潟シティガイド企画)

2018.11.18 Sunday
   11月18日(日)午前(10〜12)北前船の時代館(旧小澤家住宅)で講演と民謡の企画を行いました。
   参加者は会員の他一般のお客様を合わせ25人でした。 
   第1部の講演は、
   みなとぴあ(旧小澤)学芸員(安宅俊介氏 で、
   演題は「小澤家の繁栄とその時代背景 」でした。
   
  
  講演要旨
  小澤家は加賀国(石川県)の出身。

  江戸時代初めに鳥屋野潟に近い長潟に移り住み、農業に従事し、大地主となった。
  その分家が江戸時代後期に新潟町(中央区)に出て、在宿(ざいやど)を営むようになった。
 その後明治に入り当主小澤七三郎は回船業に進出。
 明治10年(1877)頃には、観徳丸、幸運丸などの回船を所有し、北海道と瀬戸内・大阪との間で北前船の運航を行った。
 主要商品は米で、寄港地で塩や鰹節、砂糖、ニシンなどを仕入れて売る、幅広い商いを行っていた。
 一方、齋藤家との姻戚関係にあったことから、齋藤家の経営にも関わりを持ち盤石な基盤を確立した。
  その後、運送・倉庫業、回米問屋、地主経営、石油商と様々な事業に進出し、新潟を代表する商家の一つた。
 また、歴代当主は新潟の政財界の要職で活躍した。
第2部は民謡で新潟民謡協会の方々の出演です。
  
 
  
  
  
佐渡おけさ、相川音頭、新潟おけさ、越後追分など民謡民踊をたっぷり堪能できました。
有益で楽しいひと時を過ごすことができました。
              by keibo
活動報告comments(0)|by 新潟シティガイド(管理者)

「予約のいらないまち歩き」コースをご案内

2018.10.22 Monday

 

私は9月15日午後のローサの当番で7人の遠来のお客様に

恵まれガイドしました、

熊本から女性4名の方(ネットで調べて問合せ)長野から

夫婦の方、横浜から男1人(ネットで調べて問合せ)

問い合わせ先は電話当番の月橋さんで的確に対応

いただき私の所にも通報あり

興味を持たれたのはNEXT21の展望、古町花街、

教会の建物でした。予約のいらないまち歩きは新潟の代表的な

ところが入った良いコースと思われたようです。

松山政文・記

 

活動報告comments(0)|by 抹茶味

新潟シティガイド研修旅行 「戊辰戦争150年」展と摂田屋地区のまち歩き

2018.07.19 Thursday

最初の目的地、新潟県立歴史博物館で「戊辰戦争150年」

の解説を聞いた後、小千谷慈眼寺でご住職の話を聞く。

 

慶応4年5月2日、河井継之助が新政府軍軍監、

岩村精一郎と和平交渉(小千谷談判)

をした会見の間が保存されている。

 

会見の間には河井継之助と岩村精一郎の肖像画。

 

小千谷談判が決裂し河井継之助が昼食をとった

割烹「東忠」。

 

皆で昼食。楽しいひと時。

 

たっぷり頂きました。

 

昼食後に館内を見学させていただく。

廊下のわきに大きな神棚。

 

河井継之助が食事をした「梅の間」。

 

「東忠」の前を流れる川。

 

小千谷から長岡・摂田屋に移動。2グループに分かれて

ガイドさんの話を聞きながらの散策。

北越戊辰戦争の際、長岡藩本陣が置かれた光福寺。

 

 

マンガ「美味しんぼ」で紹介された手作り味噌、星六。

 

機那サフラン酒本舗。蔵は国の登録有形文化財。

 

巨大な吉乃川の酒タンク。

 

竹駒稲荷。日本三大稲荷と言われる「竹駒稲荷」

より勧請された稲荷様。

 

越のむらさき。創業天保2年。右側のお地蔵さまは

辻地蔵。

 

摂田屋を後にして、最後の訪問場所「河井継之助記念館」

を見学。

 

とても暑い日でしたが、研修旅行を楽しみました。

 

 

活動報告comments(1)|by 抹茶味

西大畑エリア第5期生研修中

2018.06.30 Saturday

オークラ脇からの萬代橋

6月16日、この日は第4期生の高さんから萬代橋・古町花街浪漫コースの歩き方について教えていただきました。心地よい川風が背中を押してくれました。先輩ガイドの皆様、ありがとうございます。

活動報告comments(0)|by よっしー

古町柳都カフェ(美や古)見学

2018.06.24 Sunday

  この度、6月1日古町花街にオープンした柳都カフェ(美や古)を見学する機会があり、担当の方から、内部を案内していただきました。

 

 

  「美や古」は昭和初期の建物だと伝えられていますが、詳しいわからないとのことです。

ただ、見学で内部が他のお客さんと顔を合わせないよう、玄関、階段、便所等に気遣いがなされた構造になっていることがわかりました。

 

 

 

 

  柳都カフェについて同カフェのパンフレットには、

「かつては❝美や古"の名で知られた歴史ある待合のお座敷の一部をカフェにしました。

柳都振興株式会社古町芸妓が、お茶屋お菓子をお運びいたします。

平日のひとときだけのオープンですが、気軽にどなたでもご利用いただけます。(予約不要)。

運がよければ、古町芸妓が稽古をする三味線や太鼓、笛の音が聞こえたり‥‥

また、料亭へ行き来する芸妓に会える可能性もあります。

ぜひ古町花街の一端を感じてくだい。」

 

とあります。

 

  美や古を経営する、柳都振興株式会社は、1987年12月9日、地元有力企業約80社が出資して、全国初の株式会社組織の芸妓養成及び派遣会社として設立されたとのことです。

 しかしながら、長引く不況により運営に苦しむこととなり、2000年11月、幅広い業界約70社が会員となり、「柳都振興後援会」を設立したそうで、その後は順調な経営状態を保つことが出来るようになったとのことでした。

 現在所属の芸妓さんは13人で、訪れる人々を魅了しているようです。


 

     by  keibo

 


 

活動報告comments(2)|by 新潟シティガイド(管理者)

えんでこ「砂の町にいがた 豪商の館と新潟砂丘を歩く」のガイド

2018.06.21 Thursday

     新潟シティガイドでは、6月17日(土)午前、えんでこ(新潟市主催のまち歩きイベント)のガイドを行いました。

  この日の参加者は17人の方々で、3人でガイドに当たりました。

   

   今回は「砂の町にいがた 豪商の館と新潟砂丘を歩く」と銘打った新しいコースです。

信濃川や阿賀野川の大河川が運んだ堆積土砂は日本海へと流れ込み、それが長い年月を経て、陸地に打ち寄せ広大な砂丘地を形成しました。

 その砂丘地の縁の高低差を歩いて実感するコースです。

主なスポットは

 旧斉藤家別邸 ⇨ 行形亭 ⇨ 地獄極楽小路 ⇨ 西大畑公園 ⇨ 新潟市美術館

⇨ 二葉町界隈砂防林 ⇨ 日和山共同墓地 ⇨ 日和山展望台 ⇨ 開運稲荷神社 ⇨

入船地蔵尊 ⇨ 日和山住吉神社

です。 

   集合場所は西大畑にある砂丘の地形を庭園に取り入れた「旧斉藤家別邸」です。

 

   
 

 

   今の時期は新録に映えた庭園が参加者を迎えてくれていました。

 斉藤家は明治から昭和初期にかけ、海運・金融・工場経営などで財をなし、新潟の三大財閥に数えられている、斉藤家の別荘で、国指定名勝になっています。

 

 


 

 

   次は斉藤家の隣の300年の歴史を誇る新潟の老舗料亭「行形亭(いきなりや)」です。

この料亭の建造物など11件は平成12年登録有形文化財になっています。

 

 

 行形亭と小路(地獄極楽小路)を隔てた西大畑公園は、大正11年(1922)からあった新潟刑務所が、昭和46年(1985)山二ツに移転っした後、造成された公園です。

 刑務所跡には公園のほか官公庁や、潟市美術館が建っている。

 

 

 美術館前の通りから海岸方向へと向かうと、二葉町界隈の防砂林地帯になります。

 急な階段を登ると二葉町です。

 この地帯は海からの飛砂を防ぐため江戸時代から植林がなされてきましたが、1843年幕府領となり、初代奉行川村修就が約2万6千本の松を植えるなど組織的な植林がなされました。

 

 

 二葉町の海岸から四ツ屋町の坂を下ると共同墓地隣に竹内式部墓碑があります。
 

竹内式部は江戸中期、新潟町で誕生した新道家、尊王論者です。

亨保13年(1728)頃上京うして、徳大寺家に仕え、儒学や新道を学んだと言われたいます。

宝暦8年(1758)の宝暦事件では、中心人物として重追放の処分を受けて京を追われました。

その後、明和4年(1767)山県大弐らによる明和事件の際、関与を疑われて八丈島に流罪となり、送らえる途中、三宅島で病死したそうです。 この墓は昭和8年(1933)この地に建立されました。


 

日和山展望台

海岸沿いにある展望台は海岸侵食などで影響を受け、昭和52年高さ9メートルの展望台が建てられたものです。

 

 

 

開運稲荷神社

長岡藩が米蔵鎮護のため関屋に建立したのが始まりでした。

この地に移ってきたのは明治10年(1877)で、商売繁盛、諸願成就を願う漁業、海運業、倉庫業者のお参りが多かったようです。

 

 

   入船地蔵尊は、新潟湊の海上安全を祈願し併せて、天明の大飢饉による死者を供養するために寛政6年(1796)に建て、延命地蔵を安置したと伝えられている。

明治36年(1903)建立の千体地蔵堂には、十二支の守り本尊とともに信者から奉納された七寸五分(約22センチ)の1470体の金色地蔵が安置されている。


 

 

   日和山水戸教 

   日和山の標高は12.3メートルです。

 信濃川河口付近の唯一の高台で、漁師や海運業者は毎日この高台に登り、日和見をしたり入港する船の見張りをしたようです。

 亨保5年(170)には新潟の海鮮問屋は、伊藤仁太郎を専任の監視人とした。その後、徐々に河口が日和山から離れ慶応4年(1865)水戸教は河口付近に移転しました。

 住吉神社は慶応4年(1865)水戸教が河口近くに移転したことから、伊東家の邸内から住吉の大神を日和山に遷座し住吉神社としたものです。


   

  以上でこの日のまち歩きは終了となりました。

 

      by keibo

 

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