予約のいらないまち歩きコースのガイド

2014.09.30 Tuesday
新潟シティガイでは、土日・祝祭日の9:30〜15:30の間、西堀ローサ出会いの広場に、会員1名を派遣し、予約なしで2時間以内で周辺のパワースポットをガイドしています。出発時間は10:00と13:30の2回です。
コースは西堀ローサをスタート⇒新潟花街⇒白壁通り⇒風の館⇒どっペリ坂⇒新潟カトリック教会⇒オギノ公園⇒西堀ローサ終点が定番です。
9月27日(土)の午前(9:30〜13:00)私はこの時間の当番に当たり、2人の女性(50代?)をガイドしました。お二人とも市内江南区の方でしたが、今まで新潟の花街や周辺へはあまり縁がなかったとのことです。
新潟花街で最初に目にするのは、鍋茶屋通りに面した新潟の代表的な老舗料亭「鍋茶屋」です。

鍋茶屋
創業は江戸時代の弘化3年(1845)までさかのぼります。以来明治・大正・昭和・平成の長きにわたり、古町花街のシンボルとして栄えてきた由緒ある料亭です。シンボルとして栄えてきた由緒ある料亭です。「ここでお食事したいですね…でも…」など興味深々の様子です。

鍋茶屋通りから坂内小路を渡り小路をを進むと、花街を影から支える「市山流宗家宅」があります。

市山家
市山流は新潟を代表する日本舞踊、市山流宗家住宅兼稽古場で、舞踊を通しで影から花街を支える存在です。二階からは三味線の音が聞こえていて、納得していました。
鍋茶屋の風格ある佇まい、市山流家元の住宅や町屋の建物、整備された石畳の道路、狭い小路など関心は尽きないようです。

市山家から狭い六軒小路を古町通りを横切り西堀通りへと進むうち、数多くの割烹・料亭飲食店などのお店にびっくりしておられました。
六軒小路を抜けると目の前に新潟を代表する老舗ホテル「ホテルイタリア軒」が目の前に現れます。

イタリア軒
イタリア軒は明治7年来県したフランス曲馬団のイタリア人料理人ピエトロ・ミリオーレにより、創業された西洋食品店が始まりのです。ミリオーレは明治45年にイタリアへ帰国しましたが、その後昭和57年に現在のホテルになった新潟の老舗ホテルです。イタリア軒ではお客さまをホテル内までご案内しましたが、快く受け入れてくれました。
 
ここからは西大畑のお屋敷の町並みになります。
落ち着いた雰囲気の中、右手に赤レンガ塀に囲まれた、日本年金機構の建物が現れました。ここは昭和47年(1971)まで新潟刑務所の有った場所の名残の刑務所の塀の一部がを使ったものです。
更に煉瓦塀は小路の先まで続きますが、小路入口に「獄極楽小路」と書かれた札が目に入ってきます。
小路の左側は、料亭「行形亭」の高い黒塀に囲まれ、右側は刑務所の赤レンガ塀であることから、地獄極楽小路と呼ばれるようになったものです。
地獄極楽小路から右手の通りは白壁通りで、行形亭や旧斎藤家別邸など白壁の塀や蔵が並んでいます。

いきなりや
行形亭は地元禄年間創業の新潟を代表する老舗料亭で、国登録有形文化財ですが、随所に新しいものを取り入れた離れ座敷が配置された風情あるお庭を楽しむことができます。

白壁通り
ここが白壁通りです。行形亭と旧斎藤家の白壁の蔵が並んで風情ある町並みになっています。
行形亭と隣り合わせに、旧斎藤家別邸があります。廻船問屋として栄えた新潟の三大財閥(白勢・斎藤・鍵冨)の夏の別邸で、大正7年(1918)に四代斎藤喜十郎によくって建てられ、格式高い日本建築と回遊式の庭は四季を通して美しい。ガイドは外観からの説明になっていますので、玄関付近で概要説明をしました。

 
旧斎藤家を通り過ぎ、新潟大神宮の坂道を登る途中、坂口安吾の碑があります。
坂口安吾(1906〜1955)明治39年生誕の碑があります。

      私のふるさとの家は 空と 海と 砂と 松林であった
      そして吹く風であり 風の音であった

新潟大神宮の境内を横切り、ここからは、迷路のような小道へと入って行きます。秋の草花が咲き誇っており、「わぁきれい!名前なんだっけ」などさすが女性ならではの言葉も聞かれました。

迷路
狭い小道には秋の草花がいっぱい咲いて目を楽しませてくれます。
 
小道を抜け坂道を登ると、坂口安吾の資料を展示している「風の館」(旧新潟市長公舎)があり、ここで小休止しました。

風の館
坂口安吾の資料が展示されている、風の館です。
 
坂の上にある砂丘館(旧日本銀行支店長役宅)前の道路を横切ると、「どっペリ坂」の上に出ます。

どっぺり坂
59段の階段で上り下りしますが、昔坂の上にあった新潟大学の六花寮の学生の花街遊びを、戒めるために、付けられた名前とのことです。
坂の上からの市街の景観が見ごたえあります。

 
どっペリ坂を降りてしばらく下ると、左手に瀟洒な新潟カトリック教会の建物は見えてきます。

カトリック教会
新潟カトリック教会は、明治18年(1885)建てられた教会建築として知られています。
 
最後はオギノ通りにある、荻野公園です。

荻野公園
新潟名誉市民荻野久作博士の邸宅跡に作られた博士の銅像があり、公園のバラが綺麗でした。
ガイドをしながらお客の視点で見る、まち歩きの楽しさの一面を再認識させられました。




 
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活動報告comments(2)|by 新潟シティガイド(ケイボウ)

地域のお宝マップの作成まち歩き

2014.09.17 Wednesday

 9月17日(水) 鏡淵コミュニティー協議会活性化プロジェクトチーム主催による「歩いて発見!(◎_◎)!かがみふち」のまち歩き行事に同行しました。

 これは鏡淵校区内をまち歩きし、地域のお宝マップを作成し同区をPRしようというものです。まち歩きメンバーは自治会の会長さん達14名です。

 設定したコースを正回り、逆回りで2グループに分け、記録(写真)係を決めてのまち歩きを行います。まち歩き終了後各グループに分かれてのこのまとめと続き最後に発表というプログラムです。新潟シティガイドとしてこのまち歩き部分を受け持ちました。

 

 鏡淵小学校の前で旧白山駅の説明です。
旧白山駅

 

 お馴染みの白山神社です。
白山神社
 

 題目寺で明和義人の説明です。
題目寺
 

 新潟中央高校内にある旅愁の歌碑の説明です。
旅愁歌碑
 

 松尾芭蕉も歩いたと思える旧北国街道を歩きました。
旧北国街道
 

 逆回りの第2グループと出会いました。
出会いました
 

菅原神社にある まちのソクラテス小林存の歌碑です。
小林存歌碑
 

 明治期にあった白山浦の火力発電所の説明です。
火力発電所

 

 まち歩き時間が90分と限られていたため、スピードアップしたものになりました。お役に立てれば幸いです。まち歩きの楽しさがお伝えできればうれしいことです。

新潟まち歩きレポートcomments(0)|by 新潟シティガイド(よしぼう)

下町うんめぇもんコースガイド

2014.09.10 Wednesday
 

  9月8日(月)の午後(14:00〜16:00)下町うんめぇモンコースをガイドしました。

  お客さまはネット申込の女性3人です。新潟の方が東京からのお友達2人を市内の案内するに際し、新潟シティガイドのこのコースを選んだとのことでした。

  40代の女性ということもあり、まち歩きをしながら美味しいものを食べたいとの希望です。

  月曜日で歴史博物館・旧税関庁舎が休館なのが残念でしたが、第四銀行住吉町支店が開いていましたのでレトロの銀行内部を見ていただくことができ助かりました。

  新潟に住んでいても、下町のことはよく分かっていらっしゃらないご様子でしたので、みなとぴあでは、信濃川・新潟湊の大まかな説明からスタートしました。

港秀雪水上バス港の浚渫の迫力、折しも水上バス発着の様子が見られ喜んでおられましいた。
さわ山早川堀通りから、最初の立ち寄りは「さわ山」です。大福、ごぼう団子などお気に入りのようすで、私も大福をご馳走になってしまいました。
日和山五合目ここで私のサプライズ提案です。あらかじめ野内さんにお願いしておいた「日和山五合目」で落ち合っていただきくことにしました。

ここでの観光カリスマ野内さんのお話には皆さん大満足の様子でした。若干時間オーバーでしたが、「うまめぇもんコース」にもこんなサプライズはいかがでしょうか。
日和山五合目屋上うんめぇもんコース※参考までうんめぇもんコース地図はこちらです。

最後に「日和山五合目」屋上で記念写真撮影でした。日和山五合目屋上記念

 

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド(ケイボウ)

ガイドと訪ねる お屋敷町・西大畑四館巡り

2014.09.08 Monday


9月7日(日)発行の「市報にいがた」に当会企画担当が新しい試みとしての「まち歩き」を計画し、 参加者を公募いたしました。詳細は「お知らせ・新着情報」コーナーに掲載されています。

なお、お陰様にて、9月8日時点で定員に達しましたので、9日以降の受付は終了させて頂きました。

 

お知らせcomments(0)|by 進ちゃん

ヨーロッパ人の眼から観た新潟(その1)

2014.09.07 Sunday
 今までに、新潟市にふれた外国人の紀行文等が何編かある。イザベラ・バードはよく知られているので、他の人のを紹介したい。今回はブルーノ・タウトについて述べる。この8月31日の北前船にまつわるシンポジウムでも、ブルーノ・タウトにふれたパネリストもいたし、すでにご存知かもしれないが、彼は1880年生まれのドイツの建築家。1933年5月から36年10月までの3年5か月間日本に滞在した。その間建築家という眼で、工芸の指導をしたり、国内を旅をしている。新潟には35年5月21日に来て、その日に佐渡へ行き、23日に新潟に戻り、山形県へ向かっている。従って新潟市内には何時間滞在したのかわからない。あまり滞在しなかったにかかわらず、彼の著「日本美の再発見」の中で新潟をひどくけなしている。それを書に残すというのも信じがたい。原文でどのように書かれているかしりたいが、一応訳文を書くことにしたい。
  
  新潟!私が俳句を一つ『作った』ら上野氏が訳してくれた。
    新潟の悪臭のなかや藤咲けり
  新潟は日本中で最悪の都会だと言っていい。何一つ興味をそそるものがない。街を縦横に貫く運河は悪臭分々としている。  
 新潟は一九〇〇年頃の大火で街の大部分を焼失したのである。

以下続くが、あとは省略する。(注 上野氏は旅行の同行者。また訳文を現代かなづかいになおした。)
 他の書で東京をもけなしている。上記のパネリストが、これらについて坂口安吾も述べているが、と言われていた。安吾の文も記したい。彼の著「日本文化私観」の ”一 日本的ということ” の中で

  タウトによれば日本に於ける最も俗悪な都市だという新潟市に僕は生れ、彼の蔑み嫌うところの上野から銀座への街、ネオ        ン・サインを僕は愛す。

と述べている。
 ブルーノ・タウトに関しての記事を書きたくなかったが、パネリストも述べていたし、またタウトの本を読んで、新潟はどんなところかと訪ねてくる人もいたので、あえて書いた。その当時は堀の水が流れず、淀んでいて、臭かったたのかもしれない。それをタウトが見てあのように表現したのかもしれない。現在の新潟をもう一度見て、改めて書にしてほしいが、残念ながら日本を離れて数年後には亡くなってしまった。 

参考図書
 ブルーノ・タウト著 篠田英雄訳 日本美の再発見 −建築学的考察ー 岩波新書
 ブルーノ・タウト著 篠田英雄訳 日本雑記  中央公論新社
 坂口安吾著 日本文化私観  講談社 文芸文庫














































 
|-|comments(0)|by 新潟シティガイド(浅野)
 

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