8月8日(月)の午後、新潟市内の一人のお客さまから要望のあった、オリジナルコースをガイドしました。
主な立ち寄り先は
金刀比羅神社 ⇛ 柳都大橋 ⇛ 三社神社 ⇛ 流作場五差路 ⇛ 萬代橋です。
スタート西厩島こんぴら通り入り口にある金刀比羅神社です。
この神社は明治2年(1,869),古町新田町(現古町通り11)から移転してきました。
船主が航行の安全を祈願して奉納した模型和船(国指定重要有形民俗文化財)を見ることができました。
収蔵庫内を説明した神社の奥様の説明によると、「荒れ狂う日本海を航行する帆船の安全祈願のため船主は競って奉納した。」
ということです。
模型和船の収蔵庫です。
ここから秣川岸通りの広い道を横断し、柳都大橋方向へ少し歩き、右手の小さな小路へ入ると、小路の奥左手に大円寺公園があります。
今は何もない小さな公園ですが、ここには大正13年(1,924)に建てられた報時塔がありました。
警火と報時を目的としてされ、1日2回、正午と午後8時(後に午前6時も加わり3回)圧縮空気による汽笛「ボーッ」と鳴らし時を知らせていました。
NHK放送のラジオ時報が報じられるようになり、昭和18年廃止、その後昭和36年も取り壊されました。
秣川岸通りに戻り、歩道沿いに右折すると、柳都大橋西側降り口交差点ですが、信号を直進し、柳都大橋を渡りはじめて直ぐの左手階段を降りると、礎公園です。
礎公園は新潟で白山公園に次ぐ2番目となる公園です。
礎公園から柳都大橋へ通じる階段
この場所は明治11年、明治天皇が新潟巡幸の折、ご宿泊所となった白勢成熈氏の別邸があった所です。
公園の一角に由来が掲出されてありました。
公園は裕仁皇太子(後の昭和天皇)ご成婚記念として、大正12年1月26日に竣工し、礎公園と命名されました。
その後昭和29年公園の一部に礎保育園が開園しましたが、平生14年柳都大橋が開通し、公園も大きく変わってしまいました。
この日の礎公園は忘れ去られたように雑草が生茂り、見る影もないありさまなのが残念でした。
柳都大橋に戻り橋を渡ります。普段は車で通過するだけの橋ですが、歩いてみると新潟西港が一望でき新鮮でお客さまも喜んでくれました。
柳都大橋を渡り東港線を横断し、三社神社の裏手から境内へ入ります。
三社神社は流作場を開拓した安倍玄的が、延享3年(1,747)、に祠(ほこら=神様をまつる小さな建物)を建てたのが始まりと言われています。
別名玄的のお宮(流作場大神宮)と呼ばれていましたが、明治になって神明宮、八幡宮、鹿島宮を合わせて三社神社と改められました。
現在の社殿は昭和46年(1,971)改築されたコンクリート造りです。
戦前までは一般には神明様と呼ばれていたそうです。
境内には道標(みちしるべ)・明治天皇流作場ご休息所の碑、創架萬代橋碑なごもあります。
神社の参道左手に社務所がありその前に「流作場の碑」という石碑があります。
流作場 とは湖沼や河川の沿岸にあり,水が一面にかかっているような場所だそうです。
三社神社の由緒書きにもあるように、この付近一帯は流作場でした。
信濃川河口部右岸に位置する、この地域は信濃川にできた中州で、戦後まであった古信濃川を境界とする流作場新田と呼ばれていました。
昭和初期から徐々に進められた信濃川旧流域の埋立てや、都市開発、さらに1958年(昭和33年)の新潟駅の現駅舎開業などによって、萬代橋東詰側一帯は都市化が進み、今日における新潟駅周辺地区および万代・八千代となりました。
現在流作場の地名は、宅地や商業地などの住居表示上では使用されていません。
「流作場」の名称自体も、
・「流作場五差路」
・「新潟市立流作場保育園」
・「流作場説教場」(西尊寺脇)
の3箇所だけです。
三社神社の正門gから出て旧信濃川右岸土手であった、ANAクラウンプラザホテル新潟前の道路を通り、万代町通りへ出て右に曲がると流作場五差路です。
かって信濃川右岸の土手であった道路で道路沿いにはANAクラウンプラザホテル新潟があります。
萬代橋からかっての沼垂駅へ通ずる万代町通り。
流作場五差路。
この交差点は東大通と萬代橋通り、万代町通り、旧駅前通り、小須戸線が接続する交差点です。
初代、二代目の萬代橋はこの付近が東の橋詰でした。
流作場五差路の一角にある、萬代橋の東詰のレプリカ。
ここからはゴールの萬代橋へ向かって歩きます。
ラブラ万代前から、地下階段を降りると地下通路の万代クロッシングです。主に横断歩行者の安全を目的につくられ平成9年(1,997)に完成しました。
通路内には、二代目萬代橋の今日橋脚がそのまま残されていて、萬代橋の構造や歴史についての展示されていて萬代橋の歴史を知りことができます。
伯爵 柳原前光書の 明治19年に架設された初代萬代橋の橋名揮毫
この日のゴールは新潟日報メディアシップ21階です。
ここで景観ガイドをしてまち歩きを終了しました。
新潟日報メディアシップ21階から見た流作場五差路。