新潟シテイガイド 交流会 

2016.08.27 Saturday

8月27日(土)ガイド定例会に引き続き交流会が

行われました。

 

まち歩きガイドでも個性を生かした語り口で

ご案内していますが、交流会は一味違います。

 

思いっきり笑っている顔をご覧ください。

 

 

まち歩きで会っていますね!!もしかしてテレビで?

 

 

熱く語って〜、まち歩き!!

 

 

一緒にいるだけでおもしろいんだわ。

 

 

ガイド大好きっていう顔してますね〜。

 

 

何でも知ってそう〜、イヤ、知ってます。

 

 

落ち着いた雰囲気もまたいいですね。

 

 

リラックスした顔の写真を見た後は、、、

ご安心ください。

 

ガイドは研修を欠かしません。

 

 

ある日のまち歩き研修風景。

 

 

座学で新潟のことを学びます。

 

ガイドに親しみを持っていただけましたか?

 

9月中旬から中央区主催の「えんでこ」まち歩きが

始まります。

 

お客様に楽しんでいただけるよう、ガイド一同、

たくさんの皆様のご参加をお待ちしています。

 

 

活動報告comments(0)|by YOHEI

夏休みの自由学習に「まち歩き」を活用

2016.08.26 Friday

夏休みも終盤、8月25日(木)のまち歩きの

お客様は小学生とママ。

 

自由学習は「小路」について調べています。

 

シティガイド愛用の小路パンフレットを見ながら

白山神社から上古町へ。

 

 

最近話題のゲストハウス。上古町には思わず

目を引くお店が多いです。

 

 

本町通りには小路案内板があります。

 

 

親子でフムフム、なーるほど。

 

 

権現小路のキーウイの木がなくなっている!

ガイドにとって、これは事件です!

 

 


終着点は地元商店街に愛されている、白龍大権現。
どんなお願いをしたのでしょうか?

お暑い中、お疲れさまでした。

 

 

[ 付 録 ]

 

上古町では前日の24日に「明和義人祭」が行われました

涌井藤四郎、岩船屋佐次兵衛を称えるお祭りです。

 

 

 

忍者パフォーマンスで祭りが始まり、パレードの後、

芸妓の艶やかな舞が披露されました。

 

芸妓衆総出演の大変贅沢なお祭りです。

 

 

👣 👣

 

上古町、本町界隈コースは新潟シテイガイドがご案内いたします。

 

皆様の参加をお待ちしています。         👣 👣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新潟まち歩きレポートcomments(0)|by YOHEI

#西厩島・礎町・万代町界隈をガイド

2016.08.14 Sunday

8月8日(月)の午後、新潟市内の一人のお客さまから要望のあった、オリジナルコースをガイドしました。

主な立ち寄り先は

金刀比羅神社 ⇛ 柳都大橋 ⇛ 三社神社 ⇛ 流作場五差路 ⇛ 萬代橋です。

 

スタート西厩島こんぴら通り入り口にある金刀比羅神社です。

 

金刀比羅神社

 

この神社は明治2年(1,869),古町新田町(現古町通り11)から移転してきました。

 

船主が航行の安全を祈願して奉納した模型和船(国指定重要有形民俗文化財)を見ることができました。

収蔵庫内を説明した神社の奥様の説明によると、「荒れ狂う日本海を航行する帆船の安全祈願のため船主は競って奉納した。」

ということです。

 

模型和船収蔵庫

 

模型和船の収蔵庫です。

 

奉納和船

 

模型和船

 

模型和船1

 

ここから秣川岸通りの広い道を横断し、柳都大橋方向へ少し歩き、右手の小さな小路へ入ると、小路の奥左手に大円寺公園があります。

 

大円寺公園

 

大円寺公園看板

 

今は何もない小さな公園ですが、ここには大正13年(1,924)に建てられた報時塔がありました。

報時塔

 

 

警火と報時を目的としてされ、1日2回、正午と午後8時(後に午前6時も加わり3回)圧縮空気による汽笛「ボーッ」と鳴らし時を知らせていました。

NHK放送のラジオ時報が報じられるようになり、昭和18年廃止、その後昭和36年も取り壊されました。

 

 

 

 

 

 

秣川岸通りに戻り、歩道沿いに右折すると、柳都大橋西側降り口交差点ですが、信号を直進し、柳都大橋を渡りはじめて直ぐの左手階段を降りると、礎公園です。

 

礎公園は新潟で白山公園に次ぐ2番目となる公園です。

 

礎公園階段

礎公園から柳都大橋へ通じる階段

 

礎公園

 

記念碑の由来

 

記念碑名礎公園と柳都大橋

 

礎公園看板

 

 

 

この場所は明治11年、明治天皇が新潟巡幸の折、ご宿泊所となった白勢成熈氏の別邸があった所です。

 

公園の一角に由来が掲出されてありました。

 

礎公園の由来

 

公園は裕仁皇太子(後の昭和天皇)ご成婚記念として、大正12年1月26日に竣工し、礎公園と命名されました。

その後昭和29年公園の一部に礎保育園が開園しましたが、平生14年柳都大橋が開通し、公園も大きく変わってしまいました。

 

この日の礎公園は忘れ去られたように雑草が生茂り、見る影もないありさまなのが残念でした。

 

柳都大橋に戻り橋を渡ります。普段は車で通過するだけの橋ですが、歩いてみると新潟西港が一望でき新鮮でお客さまも喜んでくれました。

 

柳都大橋

 

柳都大橋1a

 

柳都大橋2

 

柳都大橋を渡り東港線を横断し、三社神社の裏手から境内へ入ります。

 

三社神社

 

三社神社は流作場を開拓した安倍玄的が、延享3年(1,747)、に祠(ほこら=神様をまつる小さな建物)を建てたのが始まりと言われています。

別名玄的のお宮(流作場大神宮)と呼ばれていましたが、明治になって神明宮、八幡宮、鹿島宮を合わせて三社神社と改められました。

現在の社殿は昭和46年(1,971)改築されたコンクリート造りです。

戦前までは一般には神明様と呼ばれていたそうです。

境内には道標(みちしるべ)・明治天皇流作場ご休息所の碑、創架萬代橋碑なごもあります。

 

神社の参道左手に社務所がありその前に「流作場の碑」という石碑があります。

 

流作場の碑

 

流作場 とは湖沼や河川の沿岸にあり,水が一面にかかっているような場所だそうです。
三社神社の由緒書きにもあるように、この付近一帯は流作場でした。

信濃川河口部右岸に位置する、この地域は信濃川にできた中州で、戦後まであった古信濃川を境界とする流作場新田と呼ばれていました。

昭和初期から徐々に進められた信濃川旧流域の埋立てや、都市開発、さらに1958年(昭和33年)の新潟駅の現駅舎開業などによって、萬代橋東詰側一帯は都市化が進み、今日における新潟駅周辺地区および万代・八千代となりました。

現在流作場の地名は、宅地や商業地などの住居表示上では使用されていません。

 

「流作場」の名称自体も、

・「流作場五差路」
・「新潟市立流作場保育園」
・「流作場説教場」(西尊寺脇)

の3箇所だけです。

 

三社神社の正門gから出て旧信濃川右岸土手であった、ANAクラウンプラザホテル新潟前の道路を通り、万代町通りへ出て右に曲がると流作場五差路です。

 

信濃川の土手通り

 

かって信濃川右岸の土手であった道路で道路沿いにはANAクラウンプラザホテル新潟があります。

 

ANAホテル

 

萬代橋からかっての沼垂駅へ通ずる万代町通り。

 

万代町通り

 

流作場五差路。

この交差点は東大通と萬代橋通り、万代町通り、旧駅前通り、小須戸線が接続する交差点です。

初代、二代目の萬代橋はこの付近が東の橋詰でした。

 

 

流作場五差路

 

流作場五差路の一角にある、萬代橋の東詰のレプリカ。

 

萬代橋レプリカ

 

ここからはゴールの萬代橋へ向かって歩きます。

 

ラブラ万代前から、地下階段を降りると地下通路の万代クロッシングです。主に横断歩行者の安全を目的につくられ平成9年(1,997)に完成しました。

通路内には、二代目萬代橋の今日橋脚がそのまま残されていて、萬代橋の構造や歴史についての展示されていて萬代橋の歴史を知りことができます。

 

万代クロッシングの橋杭

 

初代萬代橋の橋名揮毫 

 

 

伯爵 柳原前光書の 明治19年に架設された初代萬代橋の橋名揮毫
 

この日のゴールは新潟日報メディアシップ21階です。

ここで景観ガイドをしてまち歩きを終了しました。

 

メディアシップ21から見た流作場五差路

 

新潟日報メディアシップ21階から見た流作場五差路。

活動報告comments(0)|by 新潟シティガイド(ケイボウ)

#古信濃川跡をたどって歩く

2016.08.06 Saturday

7月30日(土)午前、新潟シティガイドの仲間で、古信濃川跡をたどって歩いて来ました。この日の参加者は17人で、案内役はこのことに詳しい会員が当たりました。

スタートは古信濃川の上流側入り口の、信濃川右岸下所島「やすらぎ堤」で、ゴールは下流側出口です。

 

上流側の入り口は注意して見ないとよく分からないくらい、目立たない作りです。

古信濃川1

 

古信濃川3

 

古信濃川2

 

ここからスタートし

下所島ポンプ場 ⇛ 県道小須戸・三条線(かっての信濃川右岸土手) ⇛ 水島町 ⇛ 天神尾踏切 ⇛ 天神尾天満宮通り ⇛ メビウスビル ⇛ プラーカ3 ⇛ プラーカ1 ⇛ 笹口 ⇛ 東跨線橋 ⇛ 長嶺町 ⇛ 新潟市中央図書館(ホンポート) ⇛ 明石通り ⇛ 万代保育園 ⇛ 万代町通り ⇛ 福島製麺所前 ⇛ 本立寺 ⇛ 東港線 ⇛ 魚市場岸壁

までの約3.8キロです。

 

 

新潟日報メディアシップ20階展望室から信濃川右岸を眺めると、万代シテイ、新潟駅、新潟西港など新潟市内で最も繁栄している繁華街となっています。

しかし、この地域はかつて古信濃川と信濃川の本流の中洲で、流作場と言われ,作物を作っても洪水などで流失すろことが多かったそうです。 

当時この地域を支配していた長岡藩は延享5年(1,746)安倍玄的に開発を命じました。

時代は移り、大正11年(1,922)に大河津分水が完成し、河川管理が容易になったことから昭和4年(1,929)信濃川両岸の埋め立てが始まり,昭和40年ころまでに埋め立てられました。

 

やすらぎ堤から降りて道左手に下所島ポンプ場がり、ポンプアップした水を信濃川に放水しています。

 

古信濃川5

 

ここから古信濃川跡に沿って歩きます。

 

古信濃川6

 

最初に出会うのが県道小須戸・三条線との交差点ですが、この道路はかっては信濃川右岸の土手でした。

 

古信濃川7

 

振り返ると歩いて来た川跡の道が信濃川方面に続いています。

 

古信濃川7

 

この交差点を直進し、少し左に進むと水島稲荷神社があります。この神社はその昔、度重なる作流れに対処するため、地域の農民らが石宮を建てたのが始まりとのことです。

 

古信濃川8

 

古信濃川9

 

もとの道にもどり道なりに歩くと越後線踏切があり、これを渡ると天神尾です。

 

古信濃川10

 

線路沿いにしばらく歩くと右手に川跡に作られた天神第二公園がり、ここで小休止です。

 

古信濃川11

 

古信濃川12

 

木陰が涼しかった。

 

ここで右に曲がり左に曲がると新潟駅南口のプラーカ3ビルに突き当たりますが、川筋はこのビルの真ん中を突き抜けていたようです。

 

古信濃川13

 

プラーカ1(ジュンク堂書店)の店内へ入る。

 

古信濃川14

 

ジュンク堂書店内(ここも川跡)

 

古信濃川14

 

プラーカ1ジュンク堂書店の中を突き抜け米山町へと進みます。この道が古信濃川跡かは疑問らしい。

 

古信濃川15

 

更に歩くと東跨線橋がありますが、古信濃川は跨線橋の下を流れていたようです。急な階段を登り下りして跨線橋を越え、長嶺町へと続きます。

 

古信濃川16

 

東跨線橋上から新潟駅方面を魅入る。

 

古信濃川16

 

東跨線橋階段を降りて、長嶺町へ歩く。

 

古信濃川17

 

古信濃川は長嶺町を流れていたようです。

 

古信濃川18

 

左手の東公園脇を右折すると、新潟市立中央図書館前にでます。

ここには

ここに古信濃川の流れありき」の碑と古信濃川の案内板が建てられています。

 

古信濃川19

 

古信濃川の案内板の説明に聞き入る。

 

古信濃川21

 

図書館まえから明石通を横断し、沼垂の古信濃川跡の道を真っ直ぐ歩きます。

 

古信濃川22

 

川筋の道と万代町通りの交差点歩道にには

ここに古信濃川の流れありき

の碑が建てられています。

 

古信濃川26

 

 

沼垂地内の川跡の説明を聞く。

このあたりは他の川筋と異なり早くからまちが形成されていた地域です。

ここでの説明で興味深かったのは、川筋を隔てて沼垂と東万代町など、はっきり町名が別れていることです。

古い話ですが、この川が長岡藩と新発田藩の境界でもあったことから、しっくりいかない時期もあったようです。

 

古信濃川23

 

さらに歩くと、古信濃川ポンプ場に突き当たります。

 

古信濃川24

 

東港線を渡るとピア万代ですが、ここが古信濃川の下流側出口です。

 

古信濃川25

 

汗びっしょりな研修でしたが、ピア万代で昼食し、道程を振り返り解散です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド(ケイボウ)
 

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