新潟シティガイドでは、21日(月)午前(9:45〜11:45)新潟市主催のまち歩きイベント 「日本遺産構成文化財 巡りまち歩き」のガイドをしました。
この日の参加者は15人で、ガイドは2人でした。
コースは
みなとぴあ ⇒ 湊稲荷神社 ⇒ 金刀比羅神社(寄合町) ⇒ 日和山 ⇒ 旧小澤邸住宅 ⇒ 金刀比羅神社(西厩島町)
までの約3キロです。
今年4月文化庁が認定する「日本遺産」に新潟市などが申請した「荒波を越えた男たちの夢を紡いだ異空間 〜北前船寄港地・船主集落〜」が選ばれました。
このコースの中には認定された11の構成文化財のうち6つが含まれており、新潟市内の構成を体験できるコースになっています。
最初に主催者の新潟市担当者から、今回のまちあるきの趣旨やコース説明があり、スタートです。
主催者挨拶(新潟市の担当者)
この日スタート地点の「みなとぴあ」では、「NGT48お披露目2周年記念スペシャルLIVE」が予定されており、大勢の人でごったがえしていました.。
集合場所でみなとぴの概要と、新潟市歴史博物館に保存展示されている、構成文化財の、「新潟奉行川村修就関係資料」の概略を説明がありました。
スタートして最初の立ち寄りスポットは、湊稲荷神社です。
この神社に奉納されている「願掛け高麗犬」は新潟市指定有形民俗文化財に指定されています。
回しながら願掛けをしてください。
かっての船つなぎ場近くにある湊稲荷神社の狛犬は、なじみの北前船船頭たちが、長く湊にとどまるよう、遊女たちが高麗犬をまわして願掛けをしたと伝えられています。
次は、金比羅神社(寄合町)です。
この神社に明治30年奉納された、「難船彫刻絵馬」は昭和59年、新潟市指定有形民俗文化財に指定されています。文政5年(1822)廻船問屋鈴木彌五左衛門の持ち船白山丸が遭難から救われた様子が欅の一枚板に彫られています。
次の立ち寄り場所は「願随寺」です。この寺は亨保18年(1733)三島郡北村(現長岡市)より現在地に移転されました。
安政18年(1859)新潟開港時外国使節団の接待所になったことで知られています。
次は「開運稲荷神社」です。
長岡藩が米蔵鎮護のため関屋に建立したのが始まりと言われています。明治10年現在地に移転してきました。
この神社の参道に願いをかなえる「こんこん様」という一対の犬が奉納されています。
次は「入船地蔵尊」です。
寛政6年(1794)新潟湊の海上安全を祈願し、併せて天明の大飢饉による死者を供養するために建立されたと伝えられています。
この寺には千体地蔵という七寸五分(約22cm)の仏像が数多く奉納されています。
「本尊は蔵の中に安置されています。」
「1470体の仏像が祀られています。」
次の立ち寄りポイントは「日和山住吉神社」です。
日和山の標高12.3mです。信濃川河口付近の唯一の高台で、漁師や海運業者は毎日この山に登り、日和見をしたと伝えられています。
山頂に祀られている「住吉神社」は慶応元年(1865)水戸教(水先案内や海難救助をする仕事)が河口付近に移転したことから、水先案内人の伊藤仁太郎家の邸内から、日和山に遷座し住吉神社としたものです。
「かってははこの高台から湊が一望できたそうです。」
「住吉神社は伊藤仁太郎家の邸内から、日和山山頂に遷座されました。」
つぎは「北前船の時代館」(旧小澤家住宅)です。
小澤家は江戸時代には在宿を営み、明治初期には回船業、その後廻船問屋を経て、運送倉庫業、米穀流通、地主経営等に進出し財をなしたといわれています。
平成14年新潟市に寄付され、平成18年新潟市指定有形文化財となりました。平成23年から一般公開されています。
この日の最後は「金比羅神社」(西厩島)です。
この神社は明治2年(1869)古新田町(現古町通11)から移転されてきました。
神社倉庫には、船主が航海安全を祈願して奉納した、模型和船(国指定重要有形民俗文化財)が数多く納められています。
「奉納された模型和船です。」
暑い日でしたが、参加者の皆さま、ガイドさんお疲れさまでした。
by keibo