日報趣味の会様みなとまち新潟を歩く

2019.03.17 Sunday

 12日(火)13日(水)15日(金)の3日間に別れて、日報趣味の会56名様を「みなとまち新潟・豪商の館巡り」コースをご案内しました。

   豪商の館2館では「湊にいがた雛人形・町めぐり」の催しとして、歴史を感じるおひな様や、かわいいおひな様などがたくさん飾られており、お客様は大満足の様子でした。

 

   旧小澤家住宅の黒塀
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧小澤家住宅の阿部館長による説明

 

旧豊照小学校創立110周年記念に小澤辰男氏より寄贈されたおひな様
地獄極楽小路を歩く
白壁通りを歩く
旧斎藤家展示の7段飾り
昨年は青竹の上、今年は祝開港150年の宝船、来年の展示は何かな・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

活動報告comments(0)|by 新潟シティガイド杉の子

学生ガイド研修 

2019.03.08 Friday

3月6日(水)・7日(木)、新潟国際情報大学・

新潟青陵大学・NSGカレッジの学生と教員の方々が、

ガイド研修を行いました。

豪華客船のお客様やG20農業大臣会合関連のガイドを

務めるための研修です。

フレッシュな感覚で新潟を見て、お客様をご案内して、

交流を深めて欲しいと思います。

 

University students and faculties took part in a guide training 

on March 6th and 7th, guided by Niigata City Guide.

Students will engage in guiding for tourists or those who concern

with international conferences in English.

We hope they will make fresh and excited guide and develop

it to the future.

 

古町モール5、通称マンガストリートで。老舗店舗を見て歩きました。

 

白山公園内「燕喜館」。

活動報告comments(0)|by 抹茶味

にじいろカフェ 「西海岸公園・歴史と文学の散歩道」の紹介−2

2019.02.15 Friday

 前回に続き関講師の講演内容の一部をご紹介します。

 

  西海岸公園は松林の小道が通じ散歩には最適ですが、時にはびっくりする物にものにも出合ます。

 

   
その一つが

芭蕉堂です。

  

 コンクリートの建造物のようにも見えますが、建物ではなく、「芭蕉」と朱く掘られた文字から芭蕉ゆかりの記念の石室です。

   

 

    新潟市(旧白根市)出身の画家、吉原芳仙(1807〜1983)が私財500円を投じて制作し、1966年に新潟市に寄贈したと言われています。 

   元禄2年(1689)7月に新潟で一夜を過ごしたとされる松尾芭蕉を偲ぶ作品です。

   芭蕉たちは新潟湊に船で着き、新潟には紹介されていた有力者の家に泊まれず、止むを得ず湊近くの宿 大工源七 に1泊しただけで、翌朝には北国街道(奥の細道では北陸道)を弥彦に向けて出発しました。

 

   堂内には芭蕉の肖像画と由緒書を銅筒におさめたうえ、永久保存のためコンクリート詰めにしてあると言われています。

海に降る 雨や恋しき 浮身宿

 

の句が新潟滞在中によんだとされ、それが石室の側面に刻まれている。
   古町通の船江神社境内にもこの句を刻した句碑があることはよく知られています。

  

またすぐ脇には、同じ作者による「蓑塚」も立っている。
  
   八木朋直胸像
   護国神社内の散歩道の出口近くに八木朋直の胸像があります。  
  八木朋直(1841〜1929)は1841年山形県米沢に生まれ、戊辰戦争で米沢藩の会計方として、新潟を転戦したと言われています。
   明治4年に新潟県庁職員となり、その後、第四銀行の2代目頭取に就任しました 。
 八木朋直というと初代萬代橋の資金提供者として知られています。
 当時新潟日日新聞社社長であった、内山信太郎の提案により資金を提供して1886(明治19年)、初代の木製萬代橋(長さ782m、幅7.33m)を完成させたました。
 内山は新潟と沼垂が川幅7〜800メートル信濃川によって、行き来の不便を強いられていることの解消には、架橋しかないと判断し、架橋計画を出願していました。折から信濃川改修計画が決まり、出願が認められました。
   しかし、内山には架橋資金がなく出資者が必要であった。内山が訪ねたのは当時の第四銀行頭取であった八木朋直であった。しかし八木を説得できず出資を断られました。
   やむなく葛塚町(新潟市北区豊栄)の豪商弦巻七十郎を訪問し、出資の許諾を得た。
  このことを報告したところ、八木は「かかる意義ある事業に対し、新潟市民に出資後援する者がいなく、郡部の人に委ねるのは、市民の恥である」と語り、出資が決まったという。

   その後、橋は1908(同41)年3月の大火で焼け落ちましたが、翌年に2代目萬代橋が完成しました。
やがて、バスの開通など自動車の時代を迎え、木橋は耐えきれず、昭和4年に現在の3代目萬代橋の架け替えとなりました。
  
會津八一歌碑
  
碑 文
みほとけの あごとひぢとに
あまでらの あさの
ひかりの ともしきろかも
中宮寺にて 秋艸道人 
(歌意)
尼寺の みほとけは
頬にあてた指先と
曲げた右肘に
朝の光が優しく反射する
そのお姿はなんと神秘的で
魅惑的なことか
建立趣旨)
會津八一が中宮寺のご本尊・菩薩半跏像を詠んだ歌の碑は 2010年(平成22)11月29日に 中宮寺本堂正面に建立された。
その姉妹歌碑が中宮寺・日野西光尊ご門跡と飛島建設・左野勝司氏とのご好意で 會津八一記念館に寄贈された
八一が若き日と晩年に逍遙したこの松林に建立し 奈良と新潟の縁の象徴とする
 
津八一(1881〜1956) 
  新潟市古町通5番町に生まれる。歌人、書家、美術史家
早稲田大学英文科卒業
 歌人・書家・美術史家。号は秋艸道人・渾斎等。早大卒。中学時代から俳句・和歌を作る。
奈良の古寺を巡遊し仏教美術への造詣を深め、美術学者としての地歩を築くかたわら作歌を本格化、万葉調の平がな書きによる荘重かつ芳醇な歌風で奈良古寺古仏を詠み、世の評価を得た。
 良寛詩碑 
風定花猶落鳥
啼山更幽 観音妙智力 咄
釈良寛書

 
副 碑
風定花猶落 鳥
啼山更幽 観音妙智力 咄
        釈良寛書
読下し
<注>
風定まりて花猶落ち
鳥啼いて山更に幽なり
観音妙智力 咄

 
   良寛が「法華経」を讃嘆して詠んだ 102首の「法華賛」の中の1首で観世音菩薩晋門品第25の末尾に賦したもの
  
僧侶 ・詩人 ・書家として知られる、良寛さんですが、新潟にも度々足を運んだと言われています。 
 
 
川村修就銅像
  

   川村は新潟が長岡藩から幕府直轄となった天保14年(1843)初代新潟奉行として9年間在任しました。
この間、新潟にお台場を築き、大砲を鋳造して据え付け、外国船の侵入を防ぐために力を尽くしました。
また、激しい飛砂の害を防ぐため砂防植林を行いました。
その他、風紀厳正、物価安定、民生施策にも取り組み数々の業績で、新潟の発展に大きく貢献したことで知られています。
 

銅像の説明文の中に、川村が詠んだ
     うつし植えし
   二葉の松に秋の月
    梢のかげは
   だれか仰がん
ー川村修就ー
があります。

 

ドン山

 

  

 

  

  江戸時代、新潟町民に時刻を知らせていた時の鐘にかわり、明治六年(1873)大砲により正午を知らせる事となり、
寄居の砂山に午砲所がつくられたました。
   ここでは大正8年に旧制新潟高等学校の校舎が造られるまでの間、午砲(ドンという音)により正午を告げていました。、
  その後西船見町の砂山【二葉中学(現ゆいぽーと)の近くの場所)】に移動した、大正13年(1924)に午砲が廃止されるまで、午砲所のある砂山は「ドン山」と呼ばれ、長年新潟の名所の一つとして親しまれた。
現在は午砲所と大砲が再現されているのでした。
  by keibo
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新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド(管理者)

にじいろカフェ「西海岸公園・歴史と文学の散歩道」の紹介-1

2019.02.14 Thursday
 2月10日午前、白山公園の燕喜館で、新潟シティガイドのにじいろカフェが開催されました。
 今回の講師は当会の会員の一人 関克人氏で演題は
 「西海岸公園・歴史と文学の散歩道」です。
  これは新潟シティガイドのガイドコースの一つで、西海岸公園内の散歩道沿いにある、数多くの石碑・歌碑・銅像などの紹介でした。
 講演の要旨を画像などを交えながらお伝えします。
 講師紹介と挨拶
 
関 克人氏の講演開始
 
 コースの概要は下の地図の通りでした

 

主なスポットは
1 歌碑‥会津八一の歌碑
2 詩碑‥良寛詩碑、市島三千雄詩碑、砂山の碑
3 銅像‥川村修就像、八木朋直銅像、竹内式部像
4 その他‥坂口安吾の碑。芭蕉堂、戊辰役殉難者墓苑
など見どころがあります。
   今回の講演では時間の制約もあり、ピックアップしての紹介となりました。
   このコースのスタートは護国神社正面の大鳥居で、神社に向かって進むと左側にあるのが
戊辰役殉難者墓苑です。 
  
  
   鳥羽伏見戦に始まる戊辰役の影響は、新潟市にも及びました。西軍(薩摩、長州、高鍋、新発田)と東軍(米沢、会津、庄内)の双方に多くの死者が出ました。
   明治のはじめ、新政府軍側である西軍戦死者の墓碑が常磐ケ岡(旧新潟大学本部跡)に置かれ、新潟招魂社として祀られていました。
   招魂社は役割を拡大し、日清、日露戦争以後の戦死者も祭るようになり、「護国神社」と改称され、昭和20年(1945)5月には西船見町の現在地に遷されました。
苑内には西軍戦死者の墓碑が整然と並んでいます。
 
 一方の東軍慰霊碑
 護国神社遷座から40年、昭和60年(1985)に新潟大学の本部跡地から東軍戦死者のものと思われる46の人骨が発見されました。
  反明治政府戦士の遺骨であるため、改葬されることもなく忘れ去られていたようです。
 集められた遺骨はこの戊辰役殉難者墓苑に移して埋葬され、新潟大学医学部による慰霊碑が建てられ、また1987年に「戊辰役東軍慰霊碑」が建てられた

 
 このように墓苑には西軍、東軍の隔てなく祀られているのが特徴となっています。
 砂山の歌碑
 
  「砂山」は、北原白秋が創作童謡に力を入れていた頃、新潟の砂浜をうたったもので、白秋の代表的な童謡となっています。
   大正11年に新潟市での童謡音楽会に招待された白秋は、子どもたちの歓迎を受けたのち夕刻、寄居浜に足をのばしたと言います。
   暮れかかる日本海、砂浜、松林という新潟海岸の情景は、九州に生まれ育った白秋に大きな感銘を与え、小田原に帰ったのちこれを詩にして新潟の子どもたちに贈ったものが「砂山」の詩であると言われています。
中山晋平と山田耕筰が、この詩にそれぞれ曲をつけ、今では誰もが知っている童謡となっています。
 
海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめなけなけ もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ
  
暮れりゃ砂山 汐鳴ばかり
すずめちりぢり また風荒れる
みんなちりぢり もう誰も見えぬ
    
かえろかえろよ 茱萸原わけて
すずめさよなら さよならあした
海よさよなら さよならあした
 
坂口安吾の碑
  
  
  
 
新潟市出身の作家坂口安吾(1906〜1955)の死を偲び、重さ22.5トンの文学碑が砂丘上に建てられています。碑文には安吾が新潟市に講演の時に来た際に宿舎で
色紙に書きつけた

 ふるさとは  語ることなし  安吾    
の文が刻まれている。
     by keibo

  

新潟まち歩きの「魅力」comments(0)|by 新潟シティガイド(管理者)

移動講座「にじいろカフェ」開催

2019.02.08 Friday

新潟シティガイド広報企画の移動講座「にじいろカフェ」。

「にじいろ」とは「代話々」をもじったタイトルで、

会のオープン講座です。

 

 

今回は関克人様のお話をお聞きします。

 

日時:平成31年2月10日(日)10時〜11時(予定)

会場:燕喜館(白山公園内・入館費無料)

講師:関克人様

演題:西海岸公園・歴史と文学の散歩道

 

どなたさまもご参加できますので、是非燕喜館に

お立ち寄りください。

 

 

 

 

 

お知らせcomments(0)|by 抹茶味
 

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